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ドクター・ストレンジのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ドクター・ストレンジ(2016年製作の映画)
4.0
 寺院の中にある秘密の図書館、魔術の真理や禁断の奥義の体得術が書かれた大量の蔵書が並べられた夢のような場所、そこにはチェーンで厳重に縛られ、持ち出し禁止になった門外不出の魔術書が存在した。ある日突然、図書館を強盗団が急襲する。その一団を率いるのは飛び抜けた魔術を持つカエシリウス(マッツ・ミケルセン)だった。番人となった司書を躊躇なく殺し、彼は門外不出の魔術書を結ぶチェーンを断ち、最も大事なページを破り、走り去る。その姿を追うフードを被った魔術師の姿。その時、突如時空は歪み、上下左右が混濁したマルチバース(多元宇宙システム)のドラッギーな映像の中で、魔術師はカエシリウス一味に挑みかかる。だが残念ながら千切られたページを取り戻すことは出来なかった。地上に降りた魔術師は目深に被るフードを外すと、スキンヘッドの後頭部に紋様が見える。一方その頃、ニューヨークのど真ん中にある病院内では、神経外科医ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)が手術中にも関わらず、お気に入りの音楽をかけながら、アシスタントのニコデマス・ウエスト(マイケル・スタールバーグ)とヒットチャートの話題で談笑していた。ドクター・ストレンジ、その腕は確かだが彼は患者の命よりも自らの自慢の手術テクニックに固執する。治し甲斐よりも高額な報酬でしか動かない天才外科医のイメージは手塚治虫の描いた無免許医『ブラック・ジャック』を彷彿とさせる。

 マーベル映画にとって、トニー・スターク/アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr)、ブルース・バナー/ハルク(エドワード・ノートン→マーク・ラファロ)、ソー(クリス・ヘムズワース)、スティーブ・ロジャース/キャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)に続き、満を辞して登場した新キャラクターこそが、神経外科医ドクター・ストレンジである。類い稀なる天才的な技術、溢れる知性とユーモア、スタイリッシュな佇まいに自信ありげな振る舞いをするエリート医師という設定もマーベル映画のキャラクターとして異色だが、順風満帆に見えた彼の人生に突如悲劇が訪れる。ニューヨークの一等地に住居を構え、美人な同僚医師クリスチャン・パーマー(レイチェル・マクアダムス)を恋人とし、高価な時計のコレクションを引き出しにしまうセレブリティな男は一瞬の悲劇で全てを失う。私が今作の世界観に魅了されたのは、これまでの半生を西洋医学=科学的に論証可能な範囲での治療法だと信じて疑わなかった男が、東洋医学=未知の領域に足を踏み入れることで、メンターに神秘主義的世界=マルチバース(多元宇宙システム)のカギを解放され、傲慢だった自身の態度を改めることにある。懐疑的で現実主義者だった主人公が神秘主義的思想に触れ、第三の眼を開眼する様子はこれまでのマーベル作品において唯一、哲学的な領域へ踏み込んでいると言えるだろう。

 監督であるスコット・デリクソンの作品では往々にして、熟練した仕事のプロフェッショナルたちが予想だにしなかった不思議な異常現象に遭遇し、人知を超えたミステリーに対峙する姿を何度も繰り返し描いて来た。『エミリー・ローズ』では少女が地元の地区神父であるムーア神父に助けを求めたことで彼の人生は一変する。『地球が静止する日』では大学で教諭をする地球外生物学者ヘレン・ベンソン博士の自宅に、アメリカ政府のエージェントが突如やって来る。『フッテージ』では元ベストセラー作家の男が奇妙な事件に遭い、詳細について調べる中で恐るべき事態に出くわした。『NY心霊捜査官』では一見関連性のない複数の事件を担当したニューヨーク市警察の警察官であるラルフ・サーキが悲劇に遭遇した。そのフィルモグラフィを眺めれば、神秘主義と出会い、人生を一変させたドクター・ストレンジの物語にはスコット・デリクソンこそが適任だったと云わざるを得ない。コミックではアイアンマン、アベンジャーズと同期としてこの世に生を受けたドクター・ストレンジの物語は多分に哲学的で、当時の一番のターゲットだった少年たちにはウケが良くなかったものの、時は1960年台後半、ヒッピーたちのLSDムーブメントのバイブルとして局所的な支持を獲得する。そんな当時のアシッド・ムーブメントを知る者としてはPink Floydの『Interstellar Overdrive』のあまりにも効果的な劇中使用には歓喜せずにはいられない。

 今作の映像世界の斬新さはウォシャウスキー兄弟の『マトリックス』における仮想現実と現実空間、意識化と無意識化を往来したクリストファー・ノーランの『インセプション』を超え得る平衡感覚を失うようなドラッギーな映像体験が待ち構える。そのビジュアルはさながら、だまし絵の巨匠マウリッツ・エッシャーの絵のようである。ニューヨークの高層ビル街が万華鏡のように微睡むビジュアル・イメージにしばし呆気に取られ、巧妙なだまし絵のレトリックにただただ痺れる。ベネディクト・カンバーバッチに対するマッツ・ミケルセン演じるカエシリウスのヴィラン造形には『スター・ウォーズ』シリーズの熱狂的な支持層はニヤリとさせられるに違いない。エンシェント・ワンを演じたティルダ・スウィントンの人物造形はさながら『西遊記』における三蔵法師の焼き直しの如き存在感を放つ。四次元世界の背景描写に対し、あっと驚くべきラスボスの凡庸な描写には大いに首を傾げつつも 笑、前半1時間はマーベル映画らしからぬ大胆な描写に痺れる。後半のアメコミ的な展開は寛容に捉えつつも、マーベル映画としてはイレギュラーな世界観に個人的には『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』と並ぶ深い感銘を受けた。
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