ーcoyolyー

オデッセイのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

オデッセイ(2015年製作の映画)
3.6
これ『インターステラー』の直後なんですよね。撮影順は分からないけど公開順としては。マット・デイモンマジマット・デイモンだなと思う。実像のマット・デイモンなんて『インターステラー』レベルだと思うんだけど、こっちのマット・デイモンが彼本人の見せたい理想のマット・デイモン。リドリー・スコットもわかっててハイハイこんな感じっすよね、って彼の見せたい理想のマット・デイモンに何の口も挟まず注文通りのもの出してくるし、唐突に挟まれる中国アゲも、はい了解ですこんな感じでいいっすか?と何の躊躇も示さずケツ舐めに行ってる。清々しいほどに躊躇ない。

でもそんなリドリー・スコットが一箇所だけ自我というか本音を露出させたところがあって、それはボウイの『スターマン』をかけたところ(『火星の生活』ではなかった)(ボウイ未履修なのでエンドロールまで待てずいちいちアプリ立ち上げて確認する)。ここ私、クリストファー・ノーランを当てこすりに行ったエアリプなのかリスペクトを込めてるエアリプなのかよく分からないというか多分両方複雑に入り混じってるんだろうなと思うんだけどさ、直前に『インターステラー』作ってて『プレステージ』でボウイ出演させてるクリストファー・ノーランに対して痛烈に本音曝け出してるんだよね、「確かに俺はお前みたいな天才じゃないからお前みたいにはできないけれども俺はこうやって俺のやり方で俺なりに戦ってるんだ」って。椎名林檎や糸井重里もそうなんだけどこういう開き直った凡人って売ることにかけては凄まじいよ。天才にはできない汚れ仕事を徹底してやるから。大衆のケツ舐めて媚びて媚びて金に変えてく力がすごい。作品のクオリティは天才にかなわないかも知れないけど興収的には負けませんっていう自負がある。

凡人が天才を真似するのは笑える悲劇しか生まないけどもこういう人たちを真似するのは可能性がある。ただこの人たちのケツの舐め方半端ないですからね、結局それはそれで自らの限界をしっかり見据えて受け入れる強さや天才的な努力の才能が必要ではあるので、そんじょそこらの凡人とは一味も二味も違うんですよね。

話の内容としてはもう『インターステラー』同様ジェシカ・チャステインがこういう役どころでキャスティングされてる時点でネタバレなので興味はそれをどう展開して行くかってところだけになります。それがもう凡人を突き詰めた人の強みを感じるやり方だったので、そこは多くの人の、すなわち映画作りたいワナビーの方々の参考になるのではないですかね。私ときたら映画におけるボウイ楽曲の使われ方について、という議題に夢中になっていたもので、それを考えながらでもついていけるありがたみは享受してました。いや本当ある種の、というかある世代の、と言った方がいいのかな?とにかく一部映画監督から滲み出るデヴィッド・ボウイに対する特別感って何なの?というのがモヤモヤしてしょうがない。映画でボウイの声が流れ出すと他の時とは違う思い入れも一緒に流れてる。私、そういうカルチャーを共有している人たちより一世代下だと思うのでギリわかんないのよ。ギリわかんないんだけどそういう人たちがいるのを知っていて、外から眺めてきていたのだけど映画だとその人らの内面がそのまま反映されているからもう少し核心に近づけるのよ。でも今まで外部から見てきただけのものが少しだけダイレクトに流れ込むと分からないことが気になってしょうがなくなる。自分には刺さらない存在だったのに映画での使われ方が尋常ではなくて、それが一作品に留まらないので個人の問題ではないのだなと。今のこのボウイに対する感情の状態としてはノンクリスチャンとして聖書を読んでる時の感覚に近いかも知れないです。
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