ねこねここねこ

おみおくりの作法のねこねここねこのネタバレレビュー・内容・結末

おみおくりの作法(2013年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

阿部サダヲのリメイク版より先にこちらが観たくて鑑賞。

全体を通して派手さはないけれど、淡々と進んでゆくストーリーと全編通して流れる切ない音楽が素晴らしい。

ロンドン郊外のケニントン地区で身寄りのない人のおみおくりをするのが仕事の公務員ジョン・メイ(エディ・マーサン)44歳。
彼は亡くなった人へ敬意を払い、残された遺品からその人の宗教がわかればそれに則って葬儀し、葬儀の時に流す音楽も吟味し、出来れば故人の家族や友人が葬儀に参列して欲しいと故人の親族を探したり、誰も列席しなくても彼が丁寧で優しい弔辞を書いた。 
仕事と同様、彼の生活も独りであり、規則的で質素なものだった。
ある日彼の部屋の向いに住むビリー・ストークという男性が亡くなり、自分の身近にいた人が誰にも知られず死んでしまったことに少なからずショックを受けるジョン。そして彼のショックに追い討ちをかけるように彼の丁寧な仕事ぶりが採算に見合わないとクビを言い渡す上司。
呆然としつつも彼の最後の仕事であるビリー・ストークの人生の最後をきちんと見送りたいと彼の人生を振り返る旅に出る。ビリー・ストークの元妻、娘、友人、果ては最後はホームレスになった彼の仲間と酒を酌み交わす。
そして誰からも葬儀への参列の承諾を得られないジョンは、ビリーが大切に置いていたアルバムに残る娘、ケリーを訪ね、葬儀に参加してもらえないかと打診する。ケリーは自分を捨てた父への複雑な想いが。
結局誰も参列しそうもないビリーのために、自分が購入していた眺めのいい墓地の区画を譲り、心地よさそうな棺桶⚰を選び、淡々と粛々と準備するジョンのもとに、ジョンの熱意に押され、ケリーが参列を伝えて来た。カフェでビリーの葬儀の概要を一生懸命に話すジョンにケリーは葬儀の後、お茶でもと誘う。はにかみながらも承諾するジョンに、淡い恋の予感。このままハッピーに?
ドッグシェルター🐕で働くケリーのために犬🐶の柄のマグカップをプレゼント🎁しようと購入し、嬉しそうに店を出たジョンは通りの向こうに停まっているバスに乗ろうと駆け出してそのまま帰らぬ人に💧
いつも右見て左見てもう一度右を確認して信号🚦を渡るジョンなのに、心が浮き立ってしまった結果…。

えっ⁈
と絶句してしまった。神様ひどいよ。あんまりじゃないかと思ったけれど映像は続く。
ビリーの葬儀はジョンの尽力の集大成とも言える盛況。娘も参列を拒否した元妻も、パン🍞工場の同僚も、軍隊時代の仲間も、なんとホームレス仲間も集まりビリーをしのぶ。
その脇をジョンの柩⚰がひっそりと運ばれる。ケリーはジョンの死を知らぬまま、姿を見せないジョンを待っている風情。
なんて悲しいの?これはあまりなラストなのでは?と思っていたけれど。
最後にみんなが去り、ジョンの墓地には丁寧に弔われたビリー・ストーク(の魂?幽霊?)がやって来る。そして次々とジョンが心を込めて送り出したたくさんの人がジョンを弔いにやって来る。
もうこれは泣かずにはいられないラスト。映画館で観てたらヤバかった💦

ジョンの生活と同様、映画も丁寧で静かで淡々と粛々と進んでゆく。派手さは全くないけれど、丁寧さが伝わる映画。

途中もらった魚を🐟焦がして食べられないシーンから、お皿に魚の骨が乗っているシーンへ。きっと魚をうまく焼けるようになったのかな。こんなところもよく見ると丁寧に丁寧に描かれている。
ジョン役のエディ・マーサンは抑えた演技ながら表情が素晴らしい。不安や悲しみや怒り、喜びすらも抑えた演技なのにものすごく伝わって来る。
ケリーにお茶🫖に誘われた時はこっちまでにんまりソワソワしてしまった。

途中ケリーにビリーの死を伝えに行く時、ケリーが「これ以上言わないで」という台詞を聞いて、ジョンの行動が果たして正しいのか?という疑問もあった。父親の死を知らないままでも曖昧なままでも良いのかもしれない。いちいち伝えて葬儀に出ろなどと言われたくない人もいるだろう。それでもジョンの押し付けがましくない優しい伝え方と、親の死を一緒に悼む姿勢はケリーの心を動かしたのだろうと思う。

微かに芽生えたお互いへの好意。おそらくそれはジョンの人生で初めてだったのではないだろうか?孤独で単調な、しかももうすぐ職を失うジョンにとっては、ほんわかと温かい優しい感情に包まれたひととき。
もしかしたらこの感情に包まれたまま、ケリーへのプレゼントを手に天国に旅立ったジョンは幸せだったのかもしれない。亡くなる直前のジョンの表情は孤独で哀しいものではなかったから。
彼の手にはフィリップのコーヒーメーカーと犬の絵柄のマグカップが2つ。
もしかしたら将来ケリーを自宅に招くつもりで、2人で使うためのマグカップなのかな。きっと温かく幸せな気持ちで選び、包んでもらい、手にしたはずだ。それが救いでもあり、淚でもある。

実直で丁寧な仕事をするジョンのような人は貴重であるのに採算に合わないということでリストラ対象となりやすい。かけがえのない存在なのに。
後任の女性の全く心のこもらない雑で事務的な仕事ぶりを見てなんとも言えない表情のジョン。上司の心ない言葉にジョンはさすがに怒ったのだろう。怒っても暴言を吐いたり乱暴するわけでもなく、ただ少しだけ時間が欲しいと伝えるだけ。そしてパン工場でのビリーの逸話を思い出したジョンが上司の車に向かって立ちションするシーンは、思わずやってやれ!って小さく快哉を叫んでしまった。

それでもやはり上司の「弔う者がなければ不要」「残された者にしても葬儀や悲しみを知りたいとは限らない」という言葉はある意味真実。
実際にジョンのような同僚が隣にいたら、きっと誰よりも信頼はできるけれど、業務の上で評価はできるだろうか?もっと効率良くやってくれたらと思うんだろうな。悲しいけれど。

ジョンの人生は果たしてどうだったのだろうか。家族は?きっともう両親は亡くなってるだろうし、天涯孤独なのだろう。だからこそ、早くに墓地を購入、準備しているのだろう。そんな墓地をあっさりビリーに譲るジョン。自分がおみおくりできる最後の人だとしても、なぜそこまでできるのだろう?
ジョンは自分も将来ひとりで旅立つだろうことは予測しており、それゆえ孤独に亡くなった人々の最後の旅立ちが少しでも淋しくないよう丁寧におみおくりしてあげようとしているのだろうか。
アカの他人の人生に思いを馳せ、その人の死を悼み、敬意を持って送り出す。仕事とはいえ素晴らしい。

ところで邦題の「おみおくりの作法」って、うーん、どうなの?いや、「幸せなひとりぼっち」とは逆にセンスないというか、もっと違う訳はできなかったのー?
原題は「Still Life」確かに訳しにくいかもしれないけど、もうむしろ原題のままとかで良くないかな💦単に「おみおくり」だけとかね。なんか違うのよね。

あとこの映画は【パゾリーニ監督がガーディアン紙に掲載された「孤独死した人物の葬儀を行なう仕事」に関する記事から着想を得て、ロンドン市内の民生係に同行して実在の人物や出来事について取材を重ねた末に誕生した作品である】ってWikiに書かれてるからそういうお仕事が実際にあるんだねーと思ってしまった。

もし自分が孤独死したら、絶対ジョンにお見送りして欲しい。そして自分の人生を優しい弔辞で送って欲しい。ジョンは本当に故人が歩んだ人生、たとえそれがビリーみたいにアル中患者だったとしても、その人生を優しく遡り、何がしかの大切な意味を見出してくれる人だから。
こういうおみおくりをしてくれる人さえいたら、派手な葬儀になど全く要らない。
そして誰かが、私の死後もたまにでも私を思い出してくれたら、生きていた意味がある気がする。

弔うってこういうことなんだと考えさせられた静かな名作。
何度も見返したけど、いつもラストは泣ける。音楽もとてもいい。
そしてまた観たい映画でもある。