しゃにむ

おみおくりの作法のしゃにむのレビュー・感想・評価

おみおくりの作法(2013年製作の映画)
4.5
「人間には涙で見送られる最期を望む権利がある」

参列者0人(享年23.7歳)

↓あらすじ
身寄りのない死者の遺族や友人を探し見送られる葬儀を執り行う区の役人。悲しむ人がいなければ葬儀は不要と主張する上役に静かに反発し死者の為に縁者を探し当てる。孤独死した男の残したアルバムには小さな女の子の写真を見つける。女の子は男の娘では無いかと推理し元妻の元に行き話を聞く。喧嘩っ早く乱暴な性格で刑務所に行き家族に愛想を尽かされていた。当然、男の葬儀に参列しない。次に男の戦友の元へ行く。その次はちまたの浮浪者の元へ。話を聞く内に次第に暴力だけではない男の人生が見えてくる…

・感想
死は生の一部だけど死者は生者のためだけにあるわけではない。生者は人を亡くす喪失感を自分だけで受け止めきれないから死者の力を利用する。故人の匂いがする遺品や故人と過ごしたかけがえのない思い出。これらで故人の突然の喪失を誤魔化しながら時間をかけて現実を受け止めて行く。さよならだけが人生の人間の一生には幾多のお別れがある。生きる限り必要な作用だろう。だけど死は生の一部ならば生も死の一部とも言える。寺山修司が言っていたが人間は中途半端な死体として生きて段々と完全な死体になる。死者も生者の力を借りて然るべきだ。生者が一方的に死者を利用するのは強欲ではないか。そう思ったのは「葬儀は誰のためにあるのか?」という疑問だった。悲しむ人、つまり死者のために泣く生者、がいなければ葬儀は執り行う必要がないのだろうか?必要ないと言えばそれは死者を切り捨てることに他ならない。結局、葬儀は生者のために身勝手に行われる儀式ということになる。自分が生者ならよいが死者ならたぶん悲しみに暮れるだろう。何だかんだ必死に生きた最期が誰一人見送りに来てくれないなんて。生きた意味は何だったのだろう。逝くに逝けなくなりそうだ。今作の主人公は葬儀は生者と死者のためにあるという信念に従っている。役所の方針は死者を機械的に葬る。とりあえず葬ればいい。死は人の数だけあると思う。だから葬儀も人の数だけある。死者を送る言葉にはその人が歩んだ人生が描き出される。日記に要約したらわずか数行で済まされる一日にも様々な幸福と不幸の出来事が起きている。一年スパンで見れば何とも波乱万丈な日々では無いか。人生は不思議に満ち溢れている。主人公はアルバムを作って一人一人の人生を脳裏に描き、その人と真剣に向き合っている。人生色々だから見送りも色々ある。乱暴な出来事が目立つ男の人生はその出来事だけでは語れない。妻と娘を失望させるダメ親父としての人生もあっただろう。戦友と九死に一生を得た勇敢な戦士としての人生もあったろう。巷でぶいぶい言わせてとびきりの美人と燃えるような恋をした男としての人生もあったろう。人生は案外豊かな時間で出来ている。どこか一部だけ孤独だからといって人生全部を孤独で彩ってよいわけがない。人生は孤独との闘い。それはそれはとんでもなくつらいけど勝てなくはない。人生の最終ラウンドを終えて拍手を送る人がいない人生はないだろう。誰か見送ってくれる人はいる。葬儀は生きる観客のためにだけ行われるものではない。勇敢に戦い抜いた死せる闘士を讃えるためにもある。
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