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ハイ・ライズのhorahukiのレビュー・感想・評価

ハイ・ライズ(2015年製作の映画)
3.9
Netflix新作『レベッカ』に向けてベンウィートリー監督作!

階層ごとに分かれた高層マンションで、下層のオッサンが上層に殴り込みをかけるとか、完全にマンション版『スノーピアサー』やん!と設定を見た時には思ってたけれど、全然違ってた。むしろウィートリー版『シーバース』。読んでないけれど、バラードの原作が1975年で、『シーバース』と同年というのが面白い!

ち〇こ型寄生虫が高層マンション内の住人の「本性」を爆発させた『シーバース』に対して、本作では停電が「本性」を炙り出す始点となる。トムヒ演じる主人公が人間の頭部の皮膚をいとも簡単に剥ぎ中身を露出させるシーンが序盤で登場するのだけど、その時点で既に、人間を覆う脆弱な外面を剥ぎ取り、その奥にある「本性」に焦点を当てるという作品の意図を提示している。

停電が始点となっているのは非常に象徴的。人々を適切な階層に分離して生活させるための舞台としての高層マンションは、互いへの不満を抱きながらも安定をもたらす社会システムそのもの。たかが停電という少しの異常が、不満(火種)を内在した「安定」の脆さを強烈に印象づける。国や大企業のトップに容易には会うことができないように、それぞれが当たり前のように受け入れ満足し生活してきた互いの「境界(恐らく必要なもの)」が崩れ去る過程を観察することが本作の大きな見せ場となる。

ここが『スノーピアサー』と大きく異なるところで、本作にはそもそも下層というものが存在せず、お互いを分断することで満足に生活することのできる中流以上の階層に物語が限定されてる。下層が上層を転覆させるといった意図は本作にはなく、脆さをはらんだ表面上の安定が崩れ去り、カオスが浮上する過程を社会システムと人間の外面-内面との関係性をシンクロさせて描くことに終始している。

そこへ高層マンションという過度に発達したテクノロジーが精神活動へ与える影響と精神の変容というクローネンバーグ要素を絡ませ、高度なテクノロジーに向けられた盲目的な信頼への不信を、そのまま分断という社会システムによりもたらされた当たり前の平穏、更には人間そのものへと波及させている。でもシステムへの不信という点では『スノーピアサー』と近いかも。

社会システムと人間のパーソナルな内面を象徴的空間の中で描くのは前作『A Field in England』と同様で、原作読んでないからわからないけど、しっかり監督色に染めてるように思えて良かった。だから人じゃなくて空間を主役にしてる感じ。

これフィルマに記載なかったからVODにないんだと勘違いしちゃって、わざわざ宅配レンタルしてまで見たのだけど、普通にアマプラにあってガッカリ…😱
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