KO

セッションのKOのネタバレレビュー・内容・結末

セッション(2014年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

 観る前に思った。「音楽の映画か。あんまり興味ねえな。」と。単純に自分は音楽に興味がない。従兄弟は音楽が好きだったが、自分が小学生の時、従兄弟は反抗期で常にブチ切れていた。それでいいイメージがないのかもしれない。あるいは鍵盤ハーモニカとリコーダーの演奏が絶望的に下手くそで、音楽の授業が苦痛だったことがあるかもしれない。感情的な中学校の時の音楽の先生に至ってははっきりと顔と名前を覚えて忘れられずにいる(感情的になる原因は私にあるのだが)。まあなんにせよ、ある程度成長した頃には絶望的に音楽が苦手で、中学校の時には音楽の成績が5段階評価で2だったのでそれはもう救いようがなかった。特に学校の合唱コンクールの練習は今でも思い出したくないくらい嫌な思い出しかない。
 あれは中3の9月ごろだったか。もう高校受験に向けてみんなが動き出すような時期であったが、私は学校が終わると真っ先に家に帰り、自分の時間や友達と遊ぶ時間を満喫していた。心底楽しかったが、合唱コンクールが近づくと強制的に学校で合唱の練習をさせられた。楽しみが破壊され私ははらわたが煮え繰り返っていた。何よりも私が怒りを抱いていたのが(元)吹奏楽部員たちであった。
 自分のような音痴な人間を監視し、あーだこーだと檄を飛ばしてくる。なんでやりたくないことに参加させられ、怒られなければならないのだろう。小学校で基本的人権について学ばなかったのだろうか。教員免許を持っているとは思えない音楽の先生を教祖のように仰ぎ、部活終了後の帰宅しなければならない時間(この時間を過ぎても学校にいると、該当者の所属部は部活動が一時的に停止にされるペナルティがある)に学校の前でミーティングを開く異常な集団だ。指導者に洗脳された部員たちは自分たちのクレイジーな価値観を他人に押し付け、従わないものを罰する秘密警察なのだろう。私は(元)吹奏楽部員たちにある種の狂気を感じていた。
 吹奏楽部員たちはなぜあそこまでの組織力を持っていたのだろうか。まるで軍隊のような組織力であるが、私はそれが答えにつながるのではないかと思っている。通信機器が発達するまで、軍隊は楽器で情報伝達を行っていた。軍隊やそれに近い性質の組織に音楽隊が置かれているのはその名残である。つまり、楽団は軍隊に順応しやすいような好戦的な性質や闘争心を持っているのではないだろうか。そう考えると合唱コンクールの時の吹奏楽部員たちの言動に不思議と納得がいってしまう。彼らは部活動を通して獲得した習性に基づき、勝利(=合唱コンクールでの優勝)のため狂気に満ちた言動(私にはそう感じた)をとっていたのだ。合唱コンクールで音痴や自分達に逆らうものは、みんなを危険に晒す実質的な敵なので消えてもらうほかない。
 さて、全く関係のない吹奏楽部への不満を話してしまったので本題に戻りたい。この映画はジャズのプロになりたい青年と教師のドラマではない。恋人も家族も自分も破壊する狂気に囚われた青年と、教師でも新聞の編集長でもなく、ハートマン軍曹やジョー・ペシやタクシーの運転手のような狂気に満ちた教師の仮面を被った男が己の力で敵をねじ伏せんと戦うアクション映画であり、病的な闘争心にあふれたホラー映画であり、一瞬の油断が命取りになるサスペンス映画だ。飛び出すFワードや狂気に満ちた言動はスコセッシ作品だといっても疑われないだろう。この映画は血と汗と恐怖と闘争心で出来ている。甘ったれた態度で観ると先生や上司や先輩、クライアントに罵倒されるのよりも辛い思いをするだろう。
 これだけ言うと救いがないように感じるが、残念ながら恐ろしいものの、救いのある映画だ。その救われるシーンを見た時、ジャズバンドをテーマにした映画であるが、なぜ中学校の時の吹奏楽部員たちが狂気に囚われる危険を冒しながらも吹奏楽部を辞めないか理解できた。彼らはニーマンやフレッチャーのような体験をやめない限り、たとえ第三次世界大戦が起きて、街が瓦礫と死体の山になっても、命ある限り必ず部活を続けるだろう。なぜなら、悲劇をも打ち砕くものを得る方法を知っているのだから。
KO

KO