春とヒコーキ土岡哲朗

セッションの春とヒコーキ土岡哲朗のレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
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天才への鍵は、地獄に落とされても手放さない執念。

執念が超人を生む。厳しいどころか、罠にはめてくる師匠(先生)。サックス奏者チャーリー・パーカーの再来を見出そうとしている師匠の言葉、「次のチャーリーは、挫折なんてしない」。どんなことがあっても、演奏したいという欲求から逃げない奴が、凄い奴になる。おそらく、師匠は初めて主人公を観たときに、目をつけていたのだろう。夜中に練習をしている主人公に、「執念の素質」を感じていたのだろう。
師匠の異常性が目立つが、主人公も異常。交通事故を起こしてなお、走ってコンサート会場まで行く執念。執念という才能が開花し始めている。最後の、密告者疑惑&知らされていない曲変更で、どん底に落とされた主人公。そこから、アドリブ演奏に周囲を巻き込み、ソロ演奏を見せつけ、2曲目のアドリブに突入し、フィニッシュ。この根性が備わって、主人公も浮世離れした心の持ち主として完成した。世間からは叩かれる人格だろうが、この師匠を超えられた者が、天才になる。

最後の快感のために、それまでがある。たとえでなく本当に「血の滲む」努力をして、理不尽な指導を受け、私生活もうまくいかず、すべてドラムに捧げてきた。それは何のためか。良い演奏をし終わった瞬間の、快感のため。演奏が終わった途端、エンドロールになる。そのとき、主人公の苦痛すぎる特訓の先にしかない圧倒的な演奏を見せつけられていたことに、観ていて快感が走る。
地獄に足を突っ込んでいる者だけが発揮できる圧倒芸がある、という結論を、最後の演奏のみで示す。それまでは全て、痛み。
学校をクビになった師匠と主人公が再会したときの会話で、物語は好転したように思われたが、そこからどん底に落とす。この映画は、そんな普通のカタルシスは用意していない。観客にも、映画のセオリーとしてここで好転してくれるという期待を与えておいて、震え上がらせる。それでこそ、最後の完全勝利が映える。