ふき

セッションのふきのレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
5.0
音楽学校で偉大な音楽家を目指す少年が鬼コーチの指導で狂気に陥っていく音楽ドラマ作品。
原題の「Whiplash」はサキソフォニストのハンク・レヴィ氏の名曲で、意味は「鞭打ち」。

劇場で見終わった後、たった一〇六分しかないと聞いて耳を疑った。
全体を引っ張る教師フレッチャーのスピード感に合わせた編集でお話の密度を高めると共に、胃に穴が開きそうなほどの緊張感で時間感覚が狂うこともあるが、スタッフロールの最後までお話が詰まっていることも大きいだろう。それくらい、本作はスタッフロールが印象的だ。スタッフロール中に映像を流したり、中断して映像を挟んだりしてお話を語っていく作品は多いが、本作はただ「真っ暗なスタッフロールに音楽が流れる」だけだ。だがそれが饒舌に結末を物語っている。私が見た二箇所の劇場は誰も席を立たなかったが、それも当然だろう。

本作で描かれる価値観に、言いたいことがないわけではない。
J・K・シモンズ氏演じるフレッチャーは徹底的なシゴキの先にこそ天才の誕生があると信じ、何人の若者を叩き潰してでも一人の天才を探し出そうとしている。
マイルズ・テラー氏演じるニーマンは音楽で成功することを夢見る青年で、ドラムをする目的を与えてくれたフレッチャーに応えるべく、文字通り血を流してドラムの道を邁進する。
「才能VS狂気」と謳われるように、本作はニーマンとフレッチャーの戦いの構図になっていくが、ニーマンはフレッチャーの土俵に上がってしまい、フレッチャーのシゴキの価値観に感化されてしまうので、二人の戦いは解消されてしまう。なのでこのスポ根ドラマ的価値観は、最後まで相対化されない。

だが本作の魅力はそこだと感じた。二人の視線に寄り添って描かれた本作は、ハッピーエンドの絶頂で最高のカタルシスを観客に与えながらスタッフロールに突入する。それだけでも凄まじいのに、この終わり方の裏にある悲劇性、「むしろ二人が拒絶していった人たちの方が幸せなんじゃないか」という凜凜とした恐ろしさが立ち上がってくると、軽快な『オーバーチュア』がアイロニカルに感じてくる。美しいメロディに裏に流れるおどろおどろしいベースのように、多くの人の心に刺さる残響になるはずだ。
「ジャズってピンとこないんだよね」とか「スポ根って暑苦しいアレだろ?」とか思っているなら、そういう面白さではないので是非見て欲しい。BDで見ても本作の興奮は一切衰えないことは保証する。

ところで私個人としては、「一万人の一般人を犠牲にしても、最高の一人を引き上げる。それが“我々”の未来にとって価値のあることなんだ」という考え方自体は否定しない。現実の職場でもそう考えている人はよく見るし、大勢の犠牲の元で成長した若手が会社に貢献していく例も見ているから、それが絶対に間違っているとは言わない。現代に生き残った名作の中に、限界ギリギリに追い込まれた作者が繰り出した渾身の一作があるのは認めるし、それによって私が心を動かされ、救われたことがあるのも事実だ。そういった「狂気の創造性」に価値がないとは言わない。
だが選ばれる側と潰される側の人生をフラットに見せられれば、「分かった、分かったからこっちにはくるな」と言わざるを得ない。

実際にドラマーとして叩き潰されたデミアン・チャゼル監督は、本作の価値観をどう思っているのだろう。
ふき

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