このレビューはネタバレを含みます
観てよかったです。今日おれがドラムを叩かなかったことを恥ずかしく思うくらいだった。
あーえっとそう、僕ドラムやってるんですけど、そういう目線だとけっこうやっぱりツッコミ所はある。
別にそれがこの作品の質を落としてるかっていうとアレだけど、
「速い!」「遅い!」みたいなシーンほんとに信じられんくらい速かったり遅かったりして、急に下手すぎない?ってなったり、
少しでもブランクがあってよくまたちゃんと叩けるなっていうのもあるし、
主題から離れてるからそこは適当でいいってことなのかもしれないけど…まあ神は細部に宿るって言いますし、ちょっと寂しかった。
そこ手抜いといて、どのツラ下げて"執念"の話を描けるんだよっつー話もあるしね。腹立ってきたな。
と、そう思えるくらいには、フレッチャーとアンドリューに感情移入しまくってしまいました。
そう、いや他にも突っ込めるところはいくらでもあるんだけど、僕にとってもそれは重要じゃなくて、
それよりなんにしても、感情と共感に訴えてくる部分、
「音楽は音を楽しむと書く」とかよく言うけど、由来がそもそも間違ってるというのを抜きにしても、この映画観るとやっぱりちゃんちゃらおかしいなって感じがする。
本気で練習して、一音一音を必ず意味のあるタイミングで鳴らして、テンポを揺らさずに、その時ごとに正しい音量で、
やり尽くした結果「楽しい」のであって、こういう計算された合奏は特に「楽しんだら音楽ができる」なんてものではない。
そんなわけで、演奏直前にフレッチャーの一言で互いの殺気を確認した最後のコンサート、
あれちょっとわかんないのが、「ウィップラッシュ」をやると思って練習してきたら「アップスウィンギン」に変わってたってことなんだろうか。
それとも、「キャラバン」「ウィップラッシュ」に「アップスウィンギン」が追加されてた!知らなかった!ってこと?ちょっとわかんないので、両方のパターンの解釈を書きます。
2人のヒリヒリするような絆が最高潮に達した「キャラバン」、なんだけど、最後、「キャラバン」の最終音とともに映画終わってんだよね。
あのあとに「ウィップラッシュ」が控えてたとしたら、まあ納得はいく。
まだコンサートは終わらない、ってところが2人の関係の継続を象徴してて、この後も殺気でお互いを高め合っていくんだろうなと思わせる。
ここからさらに2人の孤独な、誰にも理解されない執念の闘いが始まって、結果としていつか誰もが認める名ドラマーになって、…
と、なればその後の2人を想像させる深みのあるいい終わり方だと思うんだけど、もし「ウィップラッシュ」があとに控えてなかったとしたら?「キャラバン」でコンサート自体終わりだったら?
というのも、あのあと「ウィップラッシュ」があるなら、それを感じさせるような終わり方すると思うんだよね、
たとえばフレッチャーが手を上げてキューを出す瞬間まで映すとか、あるいはせめてエンドロールの最初の曲を「ウィップラッシュ」にするとか。
「キャラバン」でコンサートが終わりだったとしたら、なにが問題かっていうと、
「キャラバン」の間フレッチャーも「やるじゃん」みたいな顔しちゃってたし、曲が終わったところで映画も終わりということはつまり、
フレッチャーがアンドリューを"試す"時間はもうあの「キャラバン」で終わっちゃってんじゃないのか?と。
ブランクのあるドラマーを急に呼んできて、コンサート中にあれだけひと波乱もふた波乱もあって、でも最後の曲でフレッチャーはアンドリューのわがままに付き合って、認めるような表情までしちゃって、
それから再びフレッチャーがアンドリューを叱咤し続ける関係が続くとは想像しにくくないですか?
となるとやっぱりあの終わり方は、「これで次代のチャーリー・パーカー完成しました!めでたし!!!」ということなんじゃないだろうか。
途中あんだけ執念見せといて、最後なんとなく勝手にドラムソロ披露したくらいで「伝説のドラマー」に昇格扱い?そ〜れはちょっと甘いんじゃないのかと。
事故に遭ってまでドラムを叩こうとした人が、そこで燃え尽きて、その後の何ヶ月か知らないけどブランクがあって、
急にまたフレッチャーに誘われて、知らない曲叩かされる仕打ちを受けて、カッとなって勝手に長尺の感動的なドラムソロ、
やるじゃん!君が未来のチャーリー・パーカーだ!もう教えることはない!ジャーン!エンドロール!
え〜?またなんかで燃え尽きるんじゃないの〜?熱しやすく冷めやすいタイプなんじゃないの〜〜?ちゃんとドラムやるの〜〜〜〜?????
っていう、冷ややかな気持ちになっちゃったから、「キャラバン」の途中でエンドロールにするか、「ウィップラッシュ」を始めてからエンドロールにしてほしかった。
こんな延々と何を、曲が綺麗に終わったとこで映画も終わりってくらいのことに何を腹立ててんだよと思うかもしれませんけど、
僕はそういう風に感じちゃったんだから仕方ないってことで、まあそういう人もいるんだなと受け流してほしいです。
そしてもし、僕と同じようにあの終わり方に「綺麗に終わりすぎている」という寂しさを感じた人がいれば、
この文章がそれを解釈する助けになってたらいいなと思います。
色々考えさせられたけど、それだけ熱中しちゃったし、文句なしにいい映画でした。本気で音楽がやりたくなった。
「セッション」って邦題つけた奴はバカだから殴っていい