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セッションのmickeyのレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
4.0
ごめんなさい。
割と高評価な本作ですが、個人的に賛か否かで言うなら否です。

偉大なジャズドラマーを目指すニーマンと、音楽教師フレッチャーによる狂気と狂気のぶつかり合いを描いた話題作。
自分はジャズの人間ではないですが、本作で描かれる狂気の質に違和感がありました。
これは狂気というよりエゴではないか?
二人のエゴがぶつかって雑音になっているように感じました。

「音に生活が出ている」という表現があります。
例えば、仕事や勉強のこと、プライベートの問題や悩み事、演奏に対する不安や見返してやりたい気持ち等々。
要は、目の前の曲と向き合えていない状態で奏でる音楽には、その時の心象がそのまま音に現れるということです。

ニーマンはどうだったか?
純粋に曲と向き合えていたか。
例えば、これがドラムではなくてサックスだったとして、ニーマンの精神状態で滑らかな情感のこもった音色を奏でることはできただろうか。攻撃的で辛辣な音になっていたのではないか?
ニーマンの叩く音には生活が出ていたような気がします。
同様にフレッチャーも、目の前の音楽ではなくニーマンに固執し過ぎてはいなかったか。

もちろん、努力して高みを目指すことは重要だと思いますが、彼らの音楽が行き着く先は純粋な音楽の高みとは別の、自己陶酔の世界なんじゃないかと。
現にニーマンは“全てを犠牲にしなければ一流にはなれない” という思いに囚われており、それを実践している自分に陶酔しているような節がありました。
せっかくできた彼女(メリッサ・ブノワ!)も振るし。
それを見て「あぁ、ニーマンはジャズに全てを捧げる気なんだな」とはならないでしょ。
ニーマンが憧れる過去の偉大なミュージシャンの中には、恋人や家族を犠牲にしてきた人もいるでしょうが、それは音楽に没頭し過ぎて周囲がついて行けないから結果起こることであって、自分でわざわざ別れを告げてる時点でジャズに没頭できていないし、それはただ真似しているだけだと思います。

自分にとっては、ニーマンとフレッチャーがぶつかり合うラストのセッションよりも、冒頭ニーマンが一人黙々とドラムを叩く場面の方が好きですね。


ここまで書いておいて何ですが、本作の為にドラムを猛特訓したマイルズ・テラーと鬼気迫る演技を見せたJ・K・シモンズは素晴らしく、全編が緊張した空気で支配されていたのは二人の演技あってこそだと思います。
目の前の曲(役)と向き合うってこういう姿だと思います。
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