春とヒコーキ土岡哲朗

ランダム 存在の確率の春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

ランダム 存在の確率(2013年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

知性が、頭だけでなく、心にも効いてくる。

論理的だが、心を乱してくる。「シュレーディンガーの猫」の理論を再現してみよう、というアイデアを形にした映画。
細かい理由はない。彗星が抽象的で神秘的なフリとしてあるだけ。「シュレーディンガーの猫じゃないか」という登場人物たちの推理も、説得力ある説明はなく、観ている側としては「まぁ、今言ったその理論なのだろうけど」と思って観る。それで良い空気が出来ている。アイデアで押しますSFのシンプルさがあるし、その理論の話が出てくるまでに混乱状態になっているから、そんな正しそうなことを言われたら飲み込めてしまう。

そうと決まった途端、それまでは謎の多さに怖がって観ていた物語が、異次元の自分との殺し合いになるんじゃないかという恐怖に変わる。未知であることの怖さ、把握できたからこその怖さ、怖さの種類が「知性」という要素と密接なのも、洒落ている。

オチが良い。ルーレットのように別の世界に出されているため、元の世界に帰ることは困難。今まで比較的冷静かつ道徳的に行動していた主人公が、自分の置かれている状況を把握した結果、一番平和な次元に移住することを決意し、そこに元々いる自分を殺そうとする。今まで揺さぶられてきた頭と心が、悪の方向に落ち着こうとしている、安定であり不安定。

彗星も過ぎ、現象は止まった。しかし、主人公の指輪が二つ……。ということは、もう一人の自分の死体も消えてはいない。そして、自分がいる目の前で、恋人の携帯電話に、自分からの着信が。もう一人の自分は生きていた。今いるこの自分は、その自分を殺そうとしたとバレてしまう……。そんなところで終幕。いやぁ、興味はまだまだ掻き立てられる終わり方。最初のカットもスマートフォンだったし、スマートフォンで始まりスマートフォンで終わるのも、シンプルで好き。