喜連川風連

この国の空の喜連川風連のレビュー・感想・評価

この国の空(2015年製作の映画)
3.5
彼女の単調な日々と後半部の愛への耽溺が映える。

まさに谷崎潤一郎賞受賞作品。

ただ、見る人によっては単調な印象は拭えず、隣のおっさんは居眠りしていた。

その名でこの時代設定にした意味を考えていた。
その意図はジレンマだろうか?

恋した相手方には妻がいるジレンマ。
美とそれを見せることを許さない時代のジレンマ。
恋が否定されながらも、人間が本源的にそれを求めてしまうジレンマ。
それを演出するための時代なのだろうと思った。

しかし、この時代の民衆を主役に据えてここまで、イデオロギー色もあまりなく、空襲や死人の演出がない映画もまた初めて見た。

ほとんど全ての出来事がその口やラジオ、新聞で語られ、見せられる場面は家と職場くらいのものである。

これが余計に彼女の単調な日々を際立たせることになっていた。

数少ない場面が変わるシーン、川と神社。
川では流れる生命やSEXのモチーフ。
神社は結びのイメージとして用いられていたのだろう。

しかしその後の山が小さすぎる。
他が単調なので山には見えるが、
堕落するなら堕ちるところまで堕ちて堕落することの美しさまで描いて欲しかった。

処女性の喪失だけではまだ甘い。
が、この見る人へのジレンマも織り込んでの表現だったのかもしれない。

ただ、文学ではこれでよかったのかもしれないが、見せる映画となると物足りなさを感じてしまった。

ただでさえスペクタクルな映像や劇的な展開もない文学的映画なので、美や堕落に執着して欲しかった。

主演二階堂ふみさんはまさに圧巻の演技。

彼女が神社で堕落に一歩足を踏み入れるシーンに鳥肌が立った。

愛への耽溺。堪えきれない衝動。熟れていくトマトのように熟れきった彼女の恋が一気に破裂する瞬間は心が持っていかれる。

これは安っちい青春映画にはできないだろう。
この二階堂ふみの演技を見るためにお金を払う価値がある。

その口調は松竹蒲田調の田中絹代を思い出させ、その節々に憂いや迷い、恍惚などの表情をたたえ谷崎作品の耽美性を表現する。

最後にタイトルがこの国の空とあるが、空を連想させる演出は皆無に等しく、ミスチョイスだった。

そのような爽やかな映画ではなく、堕落とジレンマを連想させるようなタイトルが適していた。

エンディングロールの茨城のり子の詩にジレンマが集約されし映画。

映画館をそっと出ると、そこには劇中のただならぬ雰囲気を察したかのような大雨が降り続いていた。
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