台詞なしの96分。
もはや、台詞がないので製作国はどこなのか気にしなかったが、ロシア映画だった。
『実話にインスパイアされて作られた映画』
この作品ほど、実話を元にされた映画である事を前提にしてみたほうがよい作品もないだろう。
SFのように見えてしまうほど、物語の行く末が衝撃的である。
『へぇ、実話なんだ。えっ実話?えええええ!実話なの?』
と二度見ならぬ二度聞きしてしまうくらいに、結末が衝撃的。
途中、オチに対する伏線はあるので、心の準備はできているものの、こんな露骨なラストを迎えるとなると、一瞬受け入れがたい。
全編通して台詞がないので、国を越えて観られる映画なので、全世界が正面から観たほうがよい映画だろう。
ただ、台詞が無いとはいうものの、無音映画ではなく、音楽や生活音は流れるので、静かではあるが、その世界観は十分伝わってくる。
正直、多少強引かな?と思われるシーンも数シーンあったものの、台詞が無くても支障のないシーンを編集でつないだ感じなので、きちんとストーリーは理解できるのである。
いや、むしろストーリーは、もはやどうでもいいのである。
『どうでもいい』というのは、投げやりな悪い意味ではなく、全身全霊の皮肉を込めた『どうでもいい』なのである。
草原の中で、ささやかな生活を送る透き通った美しい少女の瞳。
この瞳が、美しければ美しいほど、その『どうでもいい』という現実が、残酷でむなしい。
それは、怒りを覚えるほどの虚無感に苛まれてしまうのである。
ひたすら引きこまれそうな美少女の瞳なんて、『どうでもいい』という非常さ。
物語なんて『どうでもいい』という虚像。
一も二も無く、残酷である。
本作の映画の解説に“『サクリファイス』の雰囲気を醸し出す”、とあるが、映像の美しさの神秘性は、確かに『サクリファイス』を想起させる。
舞台はカザフスタンの草原ではあるが、カザフスタンという国は、国の多くが草原や砂漠。水のシーンが多く出てきた事がうなずける。生命の基本となる、この水がどうなっていくのかを考えると、益々虚しくなる。
人間というものは、目先の分かりやすい“善”・“悪”を裁くのが好きなのだ。
自分の理解の範囲内、自分が想像できる範囲内、自分がジャッジできる範囲内。
それを超えるものには、興味もなければ関心もわかない。
その“善”・“悪”は、自分の半径数メートルに収まり、全て分かったかのように熱弁する。
だから、今もなお、世界では世の中を破壊する力を手放せない。
そして、その無情な世界を、『無関心』という防具で『容認』する私たち。
今もなお、私たちは、かりそめの平和を謳歌しているのである。
自分の半径数メートルを越えて、『無関心』という防具を捨てられるキッカケになるような、良作だった。ぜひ、ご覧頂きたい。