まぬままおま

工場の出口のまぬままおまのレビュー・感想・評価

工場の出口(1895年製作の映画)
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「人間の日常生活を科学者の視線で記録するメディア」としての「シネマトグラフ」(p.30 ☆1)。

犬がいるな~~~

スクリーンに何が映っているかと、上映会を開き大勢の人々が「日常生活」をスクリーンでみたとはどういうことか、どちらも問われるべき問いだと思う。

なぜ工場なのか、そこにはフランスの階級の問題がありそうだし、人々が左右に分かれて移動するのはどういった事情なのだろう。それはカメラ(キャメラ?)ポジションと動線が原因なのか、それとも「撮られること」の異常さからの忌避または、暗に示されてしまった「演出」なのか。
なぜ「日常生活」を記録しようとしたのだろう。そもそも観客にとって「工場から出て行く」のは「日常生活」の一部なのか。そこには労働者階級に眼差しを向けたいというある種の欲望が働いているのではないだろうか。

このような疑問に私はまだ答えられないし、そう考えると1分尺にも満たない本作にも、映画についてもまだまだ知らなければいけないことがある。

☆1 長谷正人(2016)「第2章 映画というテクノロジー」長谷正人編『映像文化の社会学』有斐閣