カラン

東海道四谷怪談のカランのレビュー・感想・評価

東海道四谷怪談(1959年製作の映画)
4.0
私が四谷怪談シリーズで観たのは、以下のもの。高岡早紀が出ているのも遠い昔に観たが高岡早紀しか記憶にないので数えない。

①木下恵介『新釈四谷怪談』(1949)
②中川信夫『東海道四谷怪談』(1959)
③加藤泰『怪談 お岩の亡霊』(1961)
④森一生『四谷怪談 お岩の亡霊』(1969)
⑤三池崇史『喰女』(2014)

今回は②についてだが、先に概観。本作は色々と見た目はいい。しかし、チグハグな印象を拭えない。

②から④の辺りは他にも四谷怪談シリーズが製作されている。そう考えると21世紀は寂しいものだし、そもそも⑤は四谷怪談は劇中劇となっており、主人公の男女は伊右衛門とお岩というわけではなく、お岩のように死んでゴーストになるわけではない。

①と③はモノクロで、①は重厚な語り口で悲劇の一切の顛末を語り尽くすが、殺陣は歌舞伎や日本舞踊のようにゆったりコミカル。③は生々しさの一本勝負でハイスピード系。

②と④はカラーで、印象は似ている。今どきのホラー映画に繋がる、観客を怖がらせる作風である。④はバランスが良く、脚本は四谷怪談という原典のパワーを引き出そうとする解釈となっており、王道をいくホラーである。こういう素性の良い物語をしっかりと追う王道は、今どきの映画が見失いがちである。バランス型の④に対して、②はアートムービーに接近しようとするのだが、人物の造形が浅く、照明と美術にファンタジーを発揮するのだが、小さな脚色を積み重ねて、大いなる芸術にいくという謙虚さがない。以下で、そこを詳しく見ていこう。


☆人物の相関

今から話すのは、人物を造形する際の解釈の問題だが、四谷怪談シリーズのどの映画でも、それぞれに異なっている。むしろ、個々の設定が違うこと自体は、異伝の楽しさである。また、戸板を裏返す描写があるとかないとか、火の玉がでるとかでないとかでもない。

①伊右衛門
どの四谷怪談シリーズも伊右衛門も悪で、お岩はその不幸な犠牲者として化けてでる。しかるにお岩がゴースト化する原因は伊右衛門の悪となるのだが、本作は伊右衛門から悪を奪い、どこかで聞いた表現だが、凡庸なる悪に減退させてしまう。どうしてそうなるかと言えば、お岩の父を高圧的な武士として描き、伊右衛門に殺害される前に、伊右衛門を罵倒するのであった。すると、伊右衛門が悪だからお岩の父を殺めることになったのではなくなってしまう。本作では、お岩の父はヴィラン(悪役)から悪意を奪う設定になっているのである。結果的に伊右衛門は、状況的に悪事を働くように受動的に追い込まれる。

②直助
本作では、直助はかなりの活躍である。始終、伊右衛門に悪事を吹き込み、お岩の父の死を他人のせいであると工作する。お岩の妹のお袖の許嫁を殺害しようと、滝の上で刺して突き落とす。お袖を騙して、江戸から離れたところにお袖を隔離して犯そうとのしかかる。お岩の顔面を壊して殺す毒薬を伊右衛門に直接に渡して殺人を教唆する。お岩と宅悦の死体を隠蔽する工作を伊右衛門と共同する。許嫁の仇であるとお袖に別人のことを吹き込み、実際にその別人を殺し、さらに仇を殺ったのだからお袖にやらせろとのしかかる。伊右衛門とは違い、直助は悪事を積極的に働く。しかし、死なない。本作では、助けてくれーと逃げ去る描写が最後である。

③宅悦
本作では、他作でもある設定だが、宅悦は好色な按摩であり、間男になる作戦を受け入れて、お岩にのしかかろうとする。しかしお岩が激しく拒むと、伊右衛門に吹き込まれたとお岩に暴露する。お岩の顔が変形し、絶望して子供と自害する。お岩が自害する箇所は省略されて、宅悦が伊右衛門に刀で派手に切断されて殺され、お岩と一緒に化けてでる。しかし、そもそもお岩に対する加害を共謀し、少なくとも暴行未遂である宅悦が、なぜか、お岩と一緒にゴースト化して、伊右衛門に襲いかかるのである。


☆まとめ

本作はラストでお岩のゴーストを月夜に浮かばせるほどのファンタジーを発揮する。また戸板を裏表でお岩のゴーストと宅悦のゴーストを交互に出現させる。戸板を表裏ひっくり返す前には、伊右衛門を仰天させるほどの枚数で、戸板の分身を出現させる。冒頭に、おそらく木下恵介の『楢山節考』(1958)がインスパイアしたのであろうが、歌舞伎の黒衣(くろこ)がオープニングのクレジットで躍動する。そして精妙な照明と、絶妙な採光をする撮影。

本作はかなりの技量とファンタジーを発揮する素晴らしいホラー映画なのだが、納得がどうにもいかないのは、人物の造形なのである。お岩がゴースト化する動機を薄めるかのように伊右衛門から悪を減らし、直助の悪をかさ増ししておきながら殺さず、宅悦は加害者と共犯なのに、ゴースト化して伊右衛門を脅かす。そうした繋がらない脚本で、ラストショットにおいてお岩が月夜の宙に舞うのは、美しいはずなのだが、虚しくて、力がなく、場違いな表現にしか思えない。

ということで、④森一生の1969年版のものが最初は本作の二番煎じであったのかとも思ったし、美しい照明と採光がもたらす妖艶なショットは、四谷怪談シリーズの一大傑作かとも思ったのだが、さにあらず。人物の相関を無視した展開によって、怪談の核となるお岩のゴースト化の圧力と緊張を弱めている。アトラクションのお化け屋敷のように、鑑賞者を驚かせることに腐心して、いかにもな商業映画に堕していく。

なお、血糊は④同様に少ない。切り傷に赤い線がつく程度。また、花火が何度も鳴るが、明らかに花火でないものでSEを作っている。フォーリーサウンドに失敗したのだろうか。


Blu-rayで視聴。
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