かるまるこ

モアナと伝説の海のかるまるこのレビュー・感想・評価

モアナと伝説の海(2016年製作の映画)
4.0
【伝統と革新。古くて新しいディズニー映画の集大成】

銭形警部「マウイは大変なものを盗んでいきました。テ・フィティの心です」

モアナ「○○ちゃん泣いてるじゃん謝りなー男子」

的な感じでモアナとマウイの2人でテ・フィティに心を返しに行くお話。
(もちろん銭形警部は出てきません)

つまりこれは神々の恋の話。
お節介女子モアナが2人を結ぶ話。

全編ほぼ洋上の2人だけで、画変わりに乏しく、一見単調に見えるが、そこにこそディズニーの技術力が遺憾なく発揮されている。

風になびく髪と波。

この2つは、CGで表現することが非常に困難だと言われるが、過去作から得たノウハウを惜しみなく使い、うっとりするくらい美しい。

白雪姫の頬紅(実際の化粧品を使った)から始まり、ディズニー映画はアニメーション表現における実験を行ってきたという伝統がある。

CG時代に入り、特にそれはピクサー映画で顕著となり、『モンスターズインク』ではサリーの毛並み(それ以前のキャラは皆わりとツルツル)、『メリダのおそろしの森』では人間の髪の毛、そして『ファインディング〜』シリーズでは水の表現。

そうやってスタッフにOJTを施すことによって、直面する技術的問題をその革新性で常に乗り越えてきた。

そのためには屋台骨がしっかりとしていなければならない。

ディズニー映画のプロットがいつも決まって王道(ベタ)なのも、マスを相手にするには普遍性が必要だからということ以上に、製作スタッフが表現的なチャレンジに専念出来るようにという意味合いが強い。
もし脚本が奇をてらったモノだったら共倒れになってしまう。

だから脚本開発に物凄く時間(数年)をかけるし、おとぎ話や、過去の名作映画(ピクサーが顕著)など類型的な物語から材を取ることが多い。

今回は珍しく神話から、というか、神話そのものと言っていいほど地味で単純な物語。
(しかもコーカソイドから見ればルーツ的には最も遠いポリネシア神話。
ポリネシア人は縄文人ルーツ説があるので日本人にとっては親近感はある)

ディズニーには珍しく恋愛要素が見られないように思うが、それは大枠でメタファーとしての恋愛を扱っているので、それより小さい枠組であるリアルでの人間同士の恋愛はノイズにしかならないからで、しかもメタファー的に言えば、モアナの「海への憧れ」それ自体が「恋」であり、海に選ばれた時点でモアナの「恋」は成就し、同時に、神々の恋のキューピッド役を担う資格が与えられたと見るべきだろう。
(もちろん恋愛に左右されない自立した現代的なヒロイン像を描きたいという想いが制作側にあったのは確かだろうが)

洋の東西を問わず大抵、神話は「男神と女神の契約」という形で語られるものだが、今作が表しているのは「テクノロジー」と「自然」の関係性である。

マウイは、日本神話で言うとスサノオにあたり、ともに「文化英雄」とみなされる。
「文化英雄」とは新しい「技術」や「文化」の象徴であり、新たなテクノロジーの誕生は往々にして自然環境に大きな変化や混乱を引き起こす。
「文化英雄」がイタズラ好きで粗暴なトリックスターとして描かれるのはそのためで、文化英雄神話とは、人類が如何にして自然の中から新たな技術や文化を獲得していったか、その過程を物語るものであり、今作はまさしく文化英雄譚そのものだといえる。

そして、モアナ、マウイ、テ・フィティそれぞれに「本当の自分」という今日的なテーマを通底させることによって、古かった文化英雄神話が、アイデンティティの問題として、現代人の私達にも響くような構造となっている。
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