くまちゃん

最後まで行くのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

最後まで行く(2014年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

人生はクローズアップで見れば悲劇だがロングショットで見れば喜劇である。
今作にはそんなチャップリンの言葉が良く似合う。

殺人課の刑事ゴンスは汚職の証拠を隠蔽するため母の葬儀を抜け出し職場へ向かっていた。
監査が入るためだ。
ゴンスを含め同課の面々は賄賂や風俗など、表沙汰にはできない汚職にまみれている。
葬儀場からの妹の電話、同僚からの電話を捌きつつハンドルを握る掌に力がこもる。つられるようにペダルに乗せたつま先も自然と倒れていく。
その刹那何かと接触し車体がスリップする。
人を轢いた。
ゴンスは遺体をトランクに隠し隠滅しようと画策する。
設定だけでも観客の好奇心を牽引するに値するが、何より緩急の付け方が秀逸でサスペンスの構築の仕方に余念も無駄もなく非常に精緻で技巧的である。

運転するゴンスの前に鎮座する子犬。それを避けた直後の事故。ゴンスが確認するまで何を轢いたのか観客は認識できない。ほぼ事故映像。
さらに絶妙なタイミングで件の子犬の再登場。その小柄な体躯から放たれる不穏な存在感。まさに魔女の遣いの黒猫の如し。
娘ミナの駆動型玩具を使用し、通気ダクト経由で母の棺桶の安置室へ遺体を秘密裏に搬入する。
ダクトもミナの玩具も事前に自然な形で登場させる事で、突拍子も無い不合理性を回避している。

さらに玩具はリモコン式だが通信距離が3メートルと制限があり、また、動けば定期的に発砲音が轟くおまけ機能付き。

畳み掛ける不運の連続に右往左往するゴンス。その様は本人が必死な分コントにしか見えない。
それも演じるイ・ソンギョンの上品な佇まいと、焦りすぎてダサいギャップがそうさせているのだろう。

不祥事隠蔽パートの前半とはテイストが変わり、後半は不祥事をネタに脅迫してくる相手との対決が描かれる。

C-4や、倒れた棚から落ちた拳銃、ミナが拾った貸金庫の鍵etc

全ての事象に的確なロジックがあり、不運は訪れるが幸運の兆しはない。
マーフィーの法則に合理性を持たせたかのようなプロット。

唯一の不合理は車ごと吹き飛ばしたパクが生きていた部分だろう。
だが今まで論理的過ぎるストーリーラインだったため、「生きていたパク」という要素が巨大な恐怖の象徴のように膨れ上がり、その強さも相まってフランケンシュタインの怪物やゾンビといった往年のモンスター映画にも通じるホラー的な絶望を付与している。

汚職問題から始まった今作は、ラストで現職警官による数多の不祥事を認識した上層部が全てを隠蔽する。
この展開は実にシニカルで風刺的。

ゴンスは良い警官ではないのかもしれない。親不孝者かもしれない。罰当たりかもしれない。
それでも無限に押し寄せる最悪の連続を前になんとか奮闘する彼に安寧は訪れないのか?
神は救いの手を差し伸べないのか?
全てが終わったゴンスの憔悴しきった表情が印象的だが、彼は事の発端となった貸金庫へ訪れる。
そこで目にしたもの。本来の我欲の強さ、エゴイストの末路がここにある。
くまちゃん

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