このレビューはネタバレを含みます
ニール・ブロムカンプ監督にロボット対ニンゲンを描かせたら間違いない!
自己のルーツである南アフリカ共和国を舞台に「異文化」を主題とした作品を手がけてきた彼は、『第9地区』で鮮烈な大衆デビューを果たし、次いで『エリジウム』、そして本作『チャッピー』、いわばトリロジーのような世界観を展開してきました。
ある天才が廃棄予定の自社警官ロボにAIを搭載させようと発起するものの、ロボごと3人組ギャングに誘拐される…「ロボって本当に大丈夫なの?ハッキングとかさ」というありがちな問題提起だけで終わる作品ではありません。
これは、「永遠の魂」についての話。
『クラウド・アトラス』がファンタジー・超未来的であれば、本作はかなり現実的・シリアス路線。でもエンタメ性も忘れない素晴らしいバランスで完成されています。
私は、本作における「異文化」という現実世界に対して、「来世」という非現実的世界がほぼリアルタイムで食い込んでくる表現、つまり宗教上神秘的な領域をそのまま俗世に登場させてしまっている点で興味深いなと思いました。
関連して、「黒い羊」というキーワードが作中なんども登場し「外見」は一時的なボディで、大事なのは「内面」、「内面」こそがあなたを成り立たせているといったメッセージが語られますが、この作品を観ていると、どこまでが「外」でどこからが「内」なのか、その境界線が分からなくなってくるんですね。
もしかすると、ギャングスタという「職業」だって「外」かも知れない…
さらに、「外」が無ければ「内」なんて存在し得ないとすれば、果て、「内面」はいつ露見するのかしら?という疑問も湧いてきてしまいます。
加えて、リアルタイムで「魂」を移行できるのであれば、「死後の世界」〜「来世」という空間なんて無いようなものですから、いつ「魂」は「浄化」(という言葉が適切かは微妙ですが)されるのか、とか、「前世」の記憶を保ったままの「輪廻」ってなんなの?とか新たな疑問が湧いてきたり。
他にも、突き詰めて考えてしまえば、「内」である「魂・意識」が、データ化されてロボットへ移行できる時代が来てしまうのであれば、富裕層は新しいボディを買って自分自身を「サイボーグ化」するかも知れません。
とすれば、けっきょくロボは富裕層、ニンゲンは貧しい人々という二項対立となって新たな争いが生まれる・・・なんて杞憂してしまったり。
それはもうたくさんの自己陶酔しかねない哲学が転がっている作品なのです。
ともあれ、エンタメ路線での鑑賞も、もとい、鑑賞こそ、楽しめるに違いないと思います。発砲による反動の描き方には心くすぐられます。スローモーションの挿入、全体的なリズム、最高です。