静かな鳥

トイ・ストーリー4の静かな鳥のレビュー・感想・評価

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
3.3
これ以上は望めないほど完璧なフィナーレを迎えた『トイ・ストーリー3』から9年。今になって無理に続編を作っても、それはただの蛇足になってしまうのでは…という懸念が心の中にあった。刻印された『3』のナンバリングを敢えて『4』に押し進めてまで"語らねばならない物語"があるのか?、と。残念ながら鑑賞後もそのモヤモヤは残り続けている。
まぁ蛇足だと割り切ってしまえば、これはこれで別に悪くない出来ともいえるのが歯痒い。とはいえ、この蛇足の(言い方は悪いが)タチの悪いところは「一度観てしまったら後戻りはできない」ということだ。もう観客は『3』のラストシーンの瞬間には戻れない。それほど本作で描かれるものは、これまでとは異質の"決定的な何か"であると同時に、ある種の反則技だ。年月が経てば、私たちも変化し、おもちゃたちの心情も移ろいゆく。クライマックスでの彼(ら)の決断を受け入れることが出来るか否か、が評価の分かれ目なのだろう。

まず、アバンタイトル。実写と見間違えるクリアな映像美に目を見張る。雨粒や泥水の質感、濡れる玩具の表面の光沢。緻密さを極限まで極めつつあるアニメーションの精度には、非常に驚かされた。まだまだ3DCGは進化し続けていると実感。途中でちょろっと出てくる猫のリアルさよ。
アンディの家を離れ、新しい持ち主となったボニーのもとで暮らすウッディやバズたち一行。ゴミ箱にあった先割れスプーンからボニーが自作したお気に入りのおもちゃ・フォーキーの登場で、話は動き出す。「ボニーにとって必要なおもちゃなんだ」と、ウッディは献身的にフォーキーを見守る。その佇まいには、お気に入りの座を巡ってバズを追い出そうとした1作目の彼からの大いなる成長を感じざるを得ない。

「I'm not a toy!」と叫ぶフォーキーの存在を通し、"おもちゃ"の概念を改めて問い直すようなストーリーになると予想していたので、実際は結構違っていて拍子抜け。本作はあくまでウッディの物語である。長年にわたり持ち主への忠誠心を第一としていた彼が、今回何を見て、何を思い、どう決心するか。
その弊害として(なのか)、他のおもちゃたちの活躍の比重にかなり偏りが見られる。『3』では新キャラを登場させつつも、既存キャラたちそれぞれに個性を活かす集大成的見せ場を用意した作劇の見事さに唸らされた。が、打って変わって本作は、お馴染みの面々の影が随分と薄い。俺の好きなリトルグリーンメンとか、存在がほぼ空気でショック…(ティン・トイのカメオ出演は笑った)。ボニーとの関係性の描写が希薄なのも明らかな弱点だろう。

そりゃピクサーなので様々な要素を詰め込んだ語り口に本来ならワクワクするはずなのだが、ウッディの人間臭い…というかもう"人間そのもの"である後ろ姿に漂う哀愁が、本作全体にどこか湿っぽく切ない薄膜を張ってしまっているようで素直に楽しめない。仕方のないこととはいえ、終始内省的で辛気臭いんだよな。本シリーズにしては珍しく明確なヴィランを作らなかった(それ自体には好感が持てる)影響もあるのか、後半にかけてアクションのスケールが増してきてもその物悲しいムードは消えず寧ろ徐々に昂まるばかりで、遂にはラストでそれが爆発する。

「トイ・ストーリー」シリーズは、その名の通り人との関係を軸に"おもちゃの物語"を丁寧に紡いできた。だが、おもちゃたちの生き方は選択によって多種多様であり、一人一人に世界は全く異なった見え方をしている。つまり、これまでのウッディやバズらの物語はおもちゃの世界の氷山の一角に過ぎないともいえるわけで。世界は我々の想像を遥かに超えて広く深い。その意味で、新たなる場所へと一歩踏み出すラストを自分は概ね肯定したい。あれは『トイ・ストーリー』の世界観の枠組みの拡張でもあるからだ。しかし「世界の広さ」がキーであるにも関わらず、事の顛末があの移動式遊園地の一角で収まりきってしまうこぢんまりさはどうも味気ない。
アンディの部屋の"青空と雲の壁紙"から始まった1作目。外の世界へと飛び出し"実際の青空と雲"で幕を閉じた3作目。では、本作のラストショットで映し出される空は…? その対比が、本作にビターで大人な余韻を齎している。
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