おじょう

トイ・ストーリー4のおじょうのネタバレレビュー・内容・結末

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

ごめんなさい。ネガティブなことばかり書いています。

 正直言うと観る前から流れてくる感想が、「受け入れたくない」とか「いつか受け止める」、みたいなのばっかりで、怖くて怖くて仕方なくて、怯えながら観に行った。一番嫌な展開はなかった。けど、二番目くらいに嫌なオチをされてしまった。違うか、そういう話になったっていいんだけど、明らかにそれを描くには説得力がなさすぎて、唖然とした。

 全部が全部つまらなかったわけじゃない。5回くらい泣いた。ボーとウッディが別れるシーンで泣いた。君はともだちが流れて泣いた。幼稚園で寂しがるボニーを見守るウッディに泣いた。フォーキーを作って笑顔になっていくボニーを見て泣いた。フォーキーにアンディとの思い出を語るウッディを見て泣いた。ギャビーがフォーキーと仲良くなってて泣いた。ギャビーが夢を見ウッディがかつて感じていた幸せを思って泣いた。ギャビーが捨てられるところで泣いた。それを見捨てなかったウッディに泣いた。ギャビーが迷子の女の子を見つけた所で泣いた。

 でもそっからのウッディの選択は、なんで?としか。
 どうしてそこからそうなるのか。いや、やりたいことはわかる。制作陣がやりたかったことはわかる。ギャビーと対比してるね。でもそれっていいことなの?ウッディがボーとの道を選ぶ、或いは広い世界を望む、おもちゃを助けることを選ぶ。それ自体は、不自然な感情ではないけど、あまりに急でついていけなかった。あんなにボニーの為にと頑張ってたのはお前それ忠誠心だけだったのか?そりゃ遊んでもらう頻度が減ってしまった、っていうのは最初から提示されていた課題だったけど、その答えは何か違うんじゃないか。何かどこかで間違ってないか?

 ウッディだけじゃない。今回は、なんだかキャラクター周りがとっちらかっててあんまりすんなりと飲み込めない。
 ボーの復活は嬉しかったけど、あまりにも別人すぎて、単純にウッディのガールフレンドの立ち位置のキャラが必要だっただけなんじゃ?と勘ぐってしまう。ボーがどうして今の考えになったのかってもっと説明が必要だったんじゃない?9年の月日だけじゃ飲み込めないよ。
 バズもそう。ウッディへの「内なる声が聞こえるなんて……」っていう感じのセリフがあったのに、彼のは単なる暗示ギミックとしか処理されていなくて……バズはもはやおもちゃのままか?いやおもちゃなんだけど。それに対する答えは『無印』でとっくに描かれきっているけれど。ちょっと意味深な下り作った割に内面が描かれてなさすぎる。今回明らかにバディものじゃなかったけどさ。空飛ぼうとするシーンなんて『無印』の頃の「飛んでるんじゃない、カッコつけて落ちているだけ」の下りから退化してね?としか思えなかった。ウッディのこと誰よりも理解してる相棒として扱われてたのは嬉しかったけど、これじゃただの肯定役でしかない……終盤「私を置いていった」って零して無かった…?すごい寂しい、決してスルーしちゃいけない言葉じゃない?何か大事な遣り取りカットでもされたの……?
 あとは、新キャラのウサギとひよこのぬいぐるみとかには「お前たちボニーを紹介されるって話じゃ…」とか、ギャビーの取り巻きのボーイには「えっお前たち…いいのか…?ギャビーに対してマジで…手伝うだけでいいのか…?」とか、キアヌリーブスが声充ててるキャラとか「やけに尺取って紹介されたのにそのトラウマ脈絡もなく解決しちゃうのか…」とか。
 そして文句大有りなのがボニー。子供からだんだん大人になっていく人間として最初扱われてたよね?おもちゃを持っていっちゃいけない幼稚園とか、友達ができないとか、まあそこを掘り下げても『3』と同じ話に行き着くって話だったんでしょうけど、そこが改善された描写がないのはストーリーテリングとしてあまりにもキャラクターをポイ捨てしてる感じです。結局ジェシーがついていっちゃってるし、人間の友達ができてるかどうかも不明だし。なんか上手い解決法なかったんですか…?それこそクレジットで描く程度のちょろっとした尺でもできたと思います。ゴミからおもちゃを作るユーモアをきっかけに友達が増えるとか。しかもウッディとボニーのやりとり、はっきりいって今回0。このままじゃただのウッディからフォーキーに鞍替えした人間でしかなくて…あまりに無責任じゃないですか?

 「ボニーは今の持ち主だけど、アンディのことが忘れられなくて未練タラタラ、今の生活に不満タラタラ。ウッディがボニーを大切にしていたのはおもちゃとしての忠誠心だけ。フォーキーのこと必死に助けようとしたのはおもちゃとしての義務感と寂しい自尊心を埋めるためだった。それを今回の冒険で気づいたので、ボニーも自分を必要としていないことだし、ボー達と一緒に迷子のおもちゃを手伝う道を選ぶことにしたのだった」というストーリー?なんでしょうか? 結構悪意のある言葉で表現しちゃったんですけど、ウッディを描くためにウッディの内面の問題点を盛ってる気がするんですよ、ストーリーが。周囲のキャラに必要以上に叩かれすぎです。ウッディはフォーキーを助けるために無理をしましたが、彼が何か過ちを起こしたとも思えないんですよ、あれが無茶ならジェシー達がやった時間稼ぎが旅行を台無しすることも咎められそうなものです。

 なんだか話がこんがらがってきましたが、個人の感想として、今回のストーリーは幾ら何でも受け止められないです。製作陣が3の続編を作れと言われて、無理をして作った作品という印象です。
 3での結論を越えようとしたとんでもないエンディングは唐突なものになってしまっているし。ウッディの内面も、正直無印と2で乗り超えたものばっかりだったし。そして何よりウッディ以外のキャラは問題だけ提示されて解決されていないおざなり状態だし。いや、ウッディも正直提示された問題に対して選択がずれているとしか思えないんですけれど。迷子とともに行くギャビーから感化されて残ったの?それともボーと添い遂げたくて残ったの?そこもはっきりしてない……ボート見つめ合うカットが最後多かったからやっぱボーと離れたくなかったからなのか?いや〜ボー→ウッディはわかるけどウッディ→ボーは流石に性格変わりすぎて惚れ直す理由足りねーよ…。
 それとアクションシーン。前作を超えなければいけないというハードルは重ねるごとに高くなっていくと思います。でも、アクションシーンでストーリーを進められないのなら、もうアクションなんていらなかったんじゃないかと。

 兎に角ものすごく残念。序盤が面白かったから。
 ゴミとおもちゃの境とか、何がおもちゃをおもちゃと足らしめるのかとか。
 最後にフォーキーの亜種みたいなのが言った「なんで自分は生きてるの?」みたいな台詞。
 宣伝文句で「本当のトイストーリーを知らない」とか言われるくらいだったら、それに対する答えを、知りたかったです。
おじょう

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