かるまるこ

トイ・ストーリー4のかるまるこのレビュー・感想・評価

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
4.4
なぜか『グレイテスト・ショーマン』を思い出す。

たぶんこれ、サーカスに売られたフリークス達の話だ。

考えてみれば、トイ・ストーリーは元々そういう話だった。
すぐバラバラになるポテトヘッド、胴が伸びるスリンキー、ボーのお供で3頭繋がった羊のビリー&ゴート&グラフ、新キャラで互いの手が結合したダッキーとバニー、そしてボイスボックスが壊れていたせいで愛されなかったギャビー。
おもちゃとして表現されてはいるけれど、皆、身体的特異性や不自由を持つキャラクターばかりだ。


観客である私達は、彼らが意思を持っていることを知っている。
だが劇中の人間達はまったくそれに気づいていない。
なぜならトイ・ストーリーにはシリーズを通して絶対的なルールが存在するからだ。

「人間が見ている前では動いてはいけない」

彼らの存在を知らぬ人間達がこのルールを課せるわけはないので、当然、これは彼らが自分達に課した不文律ということになるのだが、なぜこんな不平等で不自由なルールを自らに課さねばならなかったのか。
裏を返せばそれは、私達が彼らのような存在に対して差別的なまなざしを持っているからに他ならない。
無生物として振る舞えばそこから逃れられると考え、だから彼らは自らに「存在してはならない」という呪いをかけた。

そんな絶対的ルールが4作目にして少し破られる。
自らをゴミだと信じこんでいるフォーキーが、鏡像の役割を果たし、おもちゃ達のアイデンティティを揺るがした結果、革命が起こる。フォーキーと同じで、自分達もただ思い込んでいただけではないのか。「人間が見ている前では動いてはいけない」など誰が決めたのだと。自分達はここにいる。こうして生きていると。
まさに「this is me」の歌詞の世界だ。

こうした展開に批判的な意見が出るのはある意味当然だ。
人間側からしたらこれは反逆であり、裏切りだからだ。
人間とおもちゃの関係を壊されたと感じたのだと思う。

トイ・ストーリーにはシリーズ通して共通するプロットがある。

「望まぬ場所に閉じ込められたおもちゃを、皆が協力して救出(または脱出)し、仲間の許へと帰る」
(と同時に、帰る場所は所有者の人間の許であり、そここそが最善の場所である)

この単純なプロットさえあれば、どんなに所有者が変わろうが、トイ・ストーリーをシリーズとして永遠に続けることが出来る。
ファンとしてこれほど嬉しいことはない。

だが、おもちゃ達にとってはどうだろうか。
彼らにとって、このプロットは「誰に隷属するのがよりマシか」を示しているに過ぎず、それが延々と繰り返されるまさに無間地獄に他ならない。

私達観客はおもちゃに自我があることをよく知っているはずだ。
人間と同じように苦悩し、人間と同じようにそれでも希望を捨てない姿をずっと見てきた。それを知った上でもなお「人間に隷属し、我々を楽しませろ」と要求するのは傲慢以外の何者でもないし、著しく不当だと思う。

自我を持ってしまった以上、彼らは新しい「種」なのだ。
例えば映画『アイ、ロボット』にも描かれた、アシモフの「ロボット三原則」に内在する矛盾が必然的に革命を呼び起こすのと同様、おもちゃ達が人間への不当な隷属状態から解放されることはもはや必定なのだ。


新キャラのフォーキーは、その見た目に反し、今作でかなり重要な役割を担っている。前述した共通プロットの変奏としてだけでなく、初めて幼稚園へ行くボニーの不安な気持ちの現れとして、さらに、ボニーに必要とされなくなったウッディの内面の象徴として、そしてそれは、心のメタファーであるボイスボックスを介し、最終的にギャビーにまで到達する。
ボニー=フォーキー=ウッディ=ギャビー。
主要登場人物によるリレー形式で、何度も同じテーマが語り直されることでメッセージがより強化され、最終的に問題が解決された時のカタルシスが掛け算となる効果を生んでいる。

決定稿のライターとして大抜擢されたステファニー・フォルサムは最高の仕事をしたと思う。
シリーズを破壊した張本人だと批判する向きもあるが、そうではない。フォーキーの「自分をおもちゃだと思ってない」というモチーフは、1作目のバズと同じで、むしろ原点回帰だ。
作を重ねるうちにテーマが次第に「おもちゃにとっての幸せは誰かの所有物であること」へとすり替わっていってしまったが、トイ・ストーリーという物語には、最初から今作の結末へと通じる可能性が内在していた。
今作のテーマは、前3作の否定なのではなく、むしろ過去作があったからこそ初めて深い意味を持つものだ。

確かに、『3』は着地点として完璧だった。
まさしく有終の美で、これ以上何かを語るのは蛇足以外の何物でもないという意見も確かに頷ける。

だが、今思えば心のどこかで、据わりの悪さというか、居心地の悪さみたいなものを感じていたのは事実で、その違和感の原因がどこにあったのか、今作を観て初めて気づかされた。
今作の製作者達には、トイ・ストーリーのもうひとつの可能性へと、観客の目を開かせてくれたことに感謝したい。

「無限の彼方へ、さあ行くぞ」

バズのこの名ゼリフがこんなに感動的に響く日が来るとは思わなかった。

これはおもちゃ達の「奴隷解放宣言」だ。

人間達を楽しませてくれて本当にありがとう。
かるまるこ

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