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シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイアの秀ポンのレビュー・感想・評価

3.6
あんま覚えてないけど昔見た気がする。
そのときはタイカ・ワイティティのことを知らなかったので、面白いモキュメンタリーだな〜って感じで見てたんだと思う。
今回改めて見た。

──マイティ・ソーにつながる文脈について。

タイカ・ワイティティが監督していることを踏まえて見ると、マイティ・ソーのおまけ映像の、ソーが一般人とシェアハウスするチームソーシリーズなんかはまさにこの映画のバリエーションだったんだなと分かる。
おまけ映像だけじゃなくソーシリーズの本編も、ワイティティが監督するようになったソー3からは、神様であるソーのお茶目な部分にクローズアップするように路線変更が行われている。
超越的な存在の人間っぽさというか生活臭というか、そういう部分を表現することを期待されてのMCUへの招聘で、それにしっかり応えたんだろうなと思った。

──シェアハウスについて。

マイティ・ソーはもう良いとして、この映画の話をする。
シェアハウスってやっぱ良いし、ずるいよなと思った。
芸人がシェアハウスとかしてると、それだけでこいつら面白そうだなとか思うよな。それって、この映画の面白さと近いんじゃないかと思ったりする。
この映画に限らず、コンテンツ化されたシェアハウスの魅力ってなんなんだろう。せっかくなので芸人のシェアハウスを例に考えてみる。

まず、生活の見えない存在の生活を垣間見ている感覚というのはある。でもそれだけじゃないよな。その感覚はシェアハウスじゃなくても得られる。

シェアハウスの魅力って、社会から一種隔絶されたモラトリアムを覗き見ている感覚なんじゃ?と思ったので、芸人のシェアハウスがどうしてその感覚を呼ぶのかを考える。

芸人っていう、一般社会とは違うルールで動く世界の、その異質さはシェアハウスという小さな囲いの中でより際立って見える。(シャーレの上に取り出して観察してるみたいな)
1人では社会は作れず、複数人でいて初めて特殊なルールで動く場が成立する。
多分これが、1人じゃダメで、シェアハウスしてるからこその魅力の一つだ。

またシェアハウスをコンテンツ化する際の縛りとして、異質な世界を覗き見るという都合上、シェアハウスを構成するメンバーは当然売れ切った芸人ではいけない。つまり公的な人間感が出てしまうとダメだ。
そしてこの縛りの結果として、売れ切っていない芸人が集まると、そこには必然モラトリアム的な雰囲気が現れる。これが二つ目。

これらの芸人シェアハウスの魅力とそのしくみはヴァンパイア達のシェアハウスにそのまま置き換え可能だ。
ヴァンパイアは我々とは違うルールの元に動く存在である。
また不老不死である彼らは人生の段階が存在せず、永遠のモラトリアム状態だとも言える。
こんな感じか。両者で共通してるんだから、これがコンテンツとしてのシェアハウスの魅力とそのしくみの基本的な構造である可能性は高い。
そしてヴァンパイアシェアハウスの場合には、ここに彼らが人間の上位存在であるという要素が追加されている。
凄い存在が実は可愛いなんてのはキャラ萌えの王道だ。

──ところどころで感じるエグさについて。

改めて見ると、ヴァンパイアや人狼など、超常の存在同士のやりとりは楽しく見れるんだが、ヴァンパイアが人間と関わるときには急にエグさが出てくるなと思った。
いつまで経ってもヴァンパイアにしてもらえず、ずっと小間使いをやらされてる主婦とか。
食材(女の子)の身の上話を話半分で聞きながら、新聞紙を敷いて食事の準備をするタイカワイティティとか。
そしてこのエグさは、ヴァンパイアと人間の構図が、経済格差のある国家間での恋愛が全て実質的には売春になってしまうという構図と同じだからなんだろうなと思った。
持っている比較可能な価値に上下差がある時の交流は、当事者達にそのつもりがなかったとしても、絶対に搾取の関係になってしまう。

『こうした親密な関係が国境をまたぐ場合、それはかなり政治色を帯びたものになった。』
(兵士とセックス――第二次世界大戦下のフランスで米兵は何をしたのか?)
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