すがり

PKのすがりのネタバレレビュー・内容・結末

PK(2014年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

私はpkになりたい。
酔っ払ってたって良い。
あれだけ素直に本質的に生きられたらどれだけ素晴らしいか。
その上で学ぶ、嘘の美しさ。

映画イエスマンなんだよね。
イエスで生きることでノーの重要性と譲れない境を知る。
今作pkでは本当に種々様々な事柄が取り上げられているけれど、私が最も胸打たれるのはそこ。
偽りなく生き続けることで嘘が、最後に嘘だけがとことん輝く瞬間を学ぶ。
pkは地球に来てから沢山のことを学んだ。
でもその殆どは相手の手を握ることで“知った”内容。
自身の考えと地球での経験から“学んだ”といえるものが嘘なんだ。
大小様々色んな嘘に塗れてる世の中でさ、自分の人生すら嘘の中で生きてるのに、こんな美しい嘘見せられたらたまったもんじゃないよ。
ほんとばかやろう。

pkに比べればどこまでも邪ですが、こういう嘘には憧れる。
願望が叶うに越したことはありませんが、一回くらい、こんな風に嘘をついて諦めてもみたい。
叶うも叶わないもどちらも願望ならどちらがどうなるんでしょうね。

こういう映画は自分への影響が強すぎてより一層自分で自分に入り込もうとしちゃって良くない、良い。

あくまで物語としてはラストに向けての畳み掛けとこの結末によって私の涙腺を崩壊へと導いた今作ですが、それだけじゃない。
二時間半を埋める映画の中にはそのストーリーラインを強固にしつつも非常に、いやちょっと制作側大丈夫かなってなるくらいはっきりと主張が練りこまれてる。
まさかインドでこんなにも神というものの存在に切り込んでいく映画が出てるとは思いませんでした。
この点に関しては私はとてつもない同感がありました。
つまり神の存在を否定するわけでなく、そのアプローチに疑問をぶつける間違い電話についてです。

私は神とか悪魔とか、魔術だ超能力だ、幽霊だ妖怪だってやつが本当は好きで存在しててほしいんです。
でもだからこそ否定したい気持ちもある。
自分には何の超能力もないけれど気持ち的にはレッドライトのキリアンマーフィーに近い。

ちょっとずれるかもしれませんが、以前電車に乗っていたところキリスト教の方に話しかけられたことがあります。
教会へ向かう途中だったらしく、勧誘のためだったのかもしれません。
そこでやはり「神さまは居ると思うか」とか「どういう時に存在を感じられると思うか」「存在を信じるか」ということを尋ねられました。
日々の中で時折考えることだったのでそれをそのまま答えました。
「信じる人が何かをなした時その人にとって神は居るし神のおかげにもなる。そうでない人は自分の力の及ばない部分を神と喩えることはあっても神の存在や影響を認めているとは限らない。
同じ事柄であっても気持ち一つで神は居るし居ない」
話しかけてきた方が柔和な雰囲気だったのもあってか納得してもらえて、何事もなく別れました。

この手の話に間違いも正しいも無いとは思うんですが、少なくとも私の思いに今作は合っていました。

ただ信者の衣装入れ替えるところとか観てるこっちが心配というか不安になっちゃうよね。
この手の話に正しいも何も無いだろうとは思ってない人たちだって居るんだろうし。

それで尚更自分の納得にとってはこれくらいの距離感、それを好きではいるけれど信心に至るほどの自分が生まれることを認めないでおく状態ってのが丁度良いんだと思う。

自分は宇宙から地球に降り立ったわけじゃないからちょっと卑怯かもしれないけど、この距離感がpkの目線を模倣しやすい気もする。
宗教にしろ文化にしろ、私はこの目線が欲しい。
純粋な目線って言ってしまえば子どもも大抵はそうなるんだけど、pkはちょっと違う。

子どもはまだ自分が薄い。
pkは自分たちの文化の中でちゃんと考え方やら確立してるからね。

さあ絵を描くぞってなって、子どもはきっとそのまま描けるやつと描けないやつが出るだろうし、描けないからって誰かが描き方を教えたらその方法がその子の中で固定化するかもしれない。
そうなるとそこからなお真白さを保ち続けるというのはまた少し難しい話になってくる。

それがpkはその辺り既にクリアしてる。
もう自分とか、自分たちっていうものを手に入れている状態。
でも、白い。
背景を持つ白ってのがどれだけ強いか。
子どもの白さってのは雪で言えばまだ降ってる状態で、ひと吹すればあっちにこっちに乱れるし消えてしまうこともある。
それがpkになるともう既に降り終わって積もってる状態。
pkが、pkの仲間たちが、その思考、行動、文化ってものの経験を文字通り積み上げている。

だからpkは単なる子どもと違って何かを見つめるとき、疑問を持てる、考えられる。
これはつまり創造力そのもの。

そういう何にも真っ向からぶつかることのできる澄み切った力を持ったpkが宇宙から来たっていうのも本当にすごく良い。
神にしろ魔術、呪術、そういうものって要は分からないものへの対応という向きが強かったわけだし。宇宙は象徴的だもんね。
そう、或いはpkって象徴になれるとも思う。

別に記憶失った系の人でも成立しそうなところ宇宙までぶっ飛ばしてきた。
この荒唐無稽さがかえって説得力を生んでいる、こういう現実感の破綻ってめちゃくちゃ難しい。
お陰でステレオなインド的楽しさってのも絶妙に主張されてるし、何をとっても自分からはこの映画へありがとうが溢れてる。

理由を伴いつつこの度合いで好きが明確な映画に出会うことってあんまり無いから、数撃って当てるのも良いけどやっぱり色々感謝しないといけない。
元気を出すための体操まで教わっちまったしさ。
映画ってやつはね、本当にもう、ありがとう。
すがり

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