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幕が上がるのryotaのネタバレレビュー・内容・結末

幕が上がる(2015年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

個人的な話ですが、最近演劇関連の仕事が続いていて、少し忙殺気味になっていました。そんな時は、この映画を観るのが一番だろうと思い、再度観てみました。なんで、ももクロのアイドル青春映画を?って思われるかもしれません。まあ摩訶不思議だとは思いますが、私はちょっと違った見方(違ってはいないかな)をしちゃったりしました。

アイドル映画=青春映画の程をなしていますが、ここに描かれているのは「演劇」の豊かさについてです。この「豊かさ」っていうのが曲者で、ものすごい媚薬にも劇薬にもなる気がします。ももクロメンバーはさておき、原作の平田オリザさんや脚本の喜安さん、出演者に至るまでみんないわゆる舞台に馴染みのある方ばかり。黒木華やムロツヨシ、青年団から故志賀廣太郎をはじめ、吉岡里帆、伊藤沙莉、芳根京子が脇を固めてます。いま考えるとすごいキャスティングで、しかも曲者ばかり。映画は、弱小高校演劇部の活動を行う話ですが、話自体はどうってことなく、演劇コンテストにトライするいわゆるスポ根ものの王道パターンでしかありません。ただ、そこに出てくるのが「演劇」についてのさまざまなアプローチ、これがいわゆる演劇の沼にハマる要素そのものなわけです。途中で出てくる「肖像画」なる演目(演目という感じでもないが)は、それぞれの家族について思いを観客の前で述べるという者ですが、人の目の前で、自分のことを思いっきり話す、演じる、共感を得るという豊かな時間を作ることが、演劇の醍醐味であることをまず最初に見せてくれます。そう、この映画は青春映画というのは後付けにすら思えて、演劇の魅力を伝えることに重点を置いているように感じてしまったのです。人前で演じる楽しさ、自分の一挙種一頭走狗に観客が見惚れ、共感し、楽しんでくれる演劇がいかに楽しく、「豊かな」ことかと。映像では感じられない、役者ならではのカタルシスなわけです。照明や音響、舞台美術ももちろん大切なファクターではありますが、やっぱり舞台は演じる役者のものなわけです。

その世界と魅力にどっぷりハマった登場人物たちは、だんだんと迷いがなくなり、友人と色々なことがあっても乗り越えて一緒にものづくり(演劇)に没頭します。途中、スキルの高い演技力を持つ転校生(有安杏果)に嫉妬する演劇部の姫(玉井詩織)や、芝居に迷う演者(佐々木彩夏)に寄り添って一緒に苦しむ演出(百田夏菜子)など、一見青春の一ページのような出来事に見えますがこれって舞台の稽古場によくある風景で、先生(黒木華)が「答えは稽古場にある」と言っていたようにそもそもが演劇を作り出す工程ではよく見る風景で、そこを乗り越え、台本を読み、声を出してセリフを吐き、何度も何度も反復練習を繰り返すことによって新しい解釈と発見を見出すのです。それって、演劇作りの日常なわけです。

ただ、その世界が本当に素晴らしいものかどうかは、別の見方をすればかなり疑問です。この映画でもありますが、ずっと演劇に没頭すれば受験に響きます。勉強や運動、将来設計など他のことは何も頭に入らずただ芝居のことばかり考える。これって、将来を棒に振るかもしれないのです。この映画でも先生はせっかくの教職を捨てて役者の道に戻るのですが、決して待遇のいいところに戻ったわけではないところが、すごくリアルで胸を締め付けれます。石田衣良「下北サンデーズ」にもあるように、芝居が好きでたまらない小劇場の役者はごまんといて、生活も苦しく将来も見えない状況が続きます。それでも、就職せずバイトしながら稽古場に通い、オーディションを受け続ける人たちは、本当に幸せなのでしょうか。私には難しすぎてわかりません。もちろん、途中で挫折し、役者を辞めていく人もたくさんいるのですが、それでも演劇の沼(豊かさと言ってもいい)にハマる役者たちって、私にはものすごくイキイキして見えて仕方がありません。平均生涯年収1億円だとすれば、その一億を棒に振って、活動している(こちらも下北サンデーズにありました)のは、やっぱりすごい。私はそんな彼らを応援したいし、協力もしたいと思っています。

ちょっと話がずれましたが、ももクロ青春映画で、演劇部を描いたこの作品は、演劇部というより小演劇世界を垣間見せてくれる錯覚を覚えます。万人に受けるよう、ももクロPVにしたり青春映画チックな演出をしていますが、なんだか平田オリザさんの手のひらで転がされているようなそんな摩訶不思議な映画に思えてなりません。
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