春とヒコーキ土岡哲朗

幕が上がるの春とヒコーキ土岡哲朗のレビュー・感想・評価

幕が上がる(2015年製作の映画)
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無限の宇宙に挑む、有限の今。

宇宙には果てがないから、果てには永久にたどり着けない。けど、裏を返せば、どこまででも行ける。演劇部の主人公たちが演じる「銀河鉄道の夜」に込められたメッセージである。これが、彼女たちの青春物語のテーマでもある。
完璧にはできないからこそ、そこに無限のやりがいを見出せる。そんなものに興味を持ってしまったら、安定した職には就かず、人生を狂わせるかもしれない。でも、そんなこと言われても、もう遅い。のめり込んでいる。
指導者であった先生も、再び役者の道へ。まさに、人生を狂わせている。この展開があったから、説得力がある。先生が、教師を続けられているようだったら、演劇の魅力も、その呪いの深さもたいしたものじゃなく見えてしまう。主人公たちに「演劇にのめり込んだら人生が狂う」と忠告していた先生も、十分に不安定。先生の姿は主人公たちの目指すゴールではなく、先生は主人公たちの一歩先のステージで、揉まれに行く。その宇宙に果てなどないことの証。道の険しさと、無限の可能性を同時に感じさせる、良い展開だった。

今を失っていく、アイドル。アイドルグループ「ももいろクローバーZ」のメンバー5人が主要キャストを務める本作。映画の物語が、実際の彼女たちのアイドル活動とも重なって見えてくる。アイドルとは、将来どこに落ち着くのか分からない不確定さが魅力であり、つまり、若いうちしかできない。その、若いうちしかできない刹那性そのものも、魅力である。アイドル活動は、いつかは終わる。その切なさを抱えながら、今は、やる。その潔さが、演じているももクロからも、映画の主人公たちからも漲っていた。今をどんどん失っていく。だからといって、それを嘆くのでなく、その悲しさを跳ね返して、今だけの輝きをぶつける。
エンドロールの、素のももいろクローバーZとしての彼女たちの歌唱で、映画の中で描かれたそのテーマが、現実に彼女たちの生き様なのだと整理させられる。現実に勝るエンターテインメントはない。