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映画としての音楽のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

映画としての音楽(2014年製作の映画)
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七里監督の作品「背」を観たくて予習。実験的なアート作品で、映画を彼、音楽を彼女にたとえ、映画が音楽と出会う前(サイレント)から始まり映画と音楽との関係を映像と音声、文字を多重に合わせて表現している。

ピタゴラスイッチのようでもあり、
カルチャースクールのビルの廊下を歩いているような感じでもあった。英会話教室の隣からは演劇、朗読、声優、声明、現代音楽等々、音が重なる林の中を彷徨った。

文字も合わさるが、挫折した「カモンカモン」の大量の情報の波より、まだ散文で意味を拾わなくてよい解放感、距離感がある。

映像は主に海の波、映像と波の音が一致すると心地よい、それ以外のシーンは演劇的な人間の声(サロメとヨハネ)で焦燥と不安を煽る。

波で劇中の感情を伝えるのはゴダールの「カルメンという女」もそうだった。ゴダールは遠慮がちにそれぞれのディメンションを直線的につないだが、七里監督は、大胆に同時に重ね合わせた。

空間の六面を使った空間アートみたいと書いて、映画は空間の一面しか使っていない!もったいないことに気づいた。映画館で観る体感より、より五感を刺激するライブ空間の方が合いそう。音声の響きもエコー前提に感じた。

七里監督の隠れテーマなんだろうか。本作でも「サロメ」(「映画としての音楽」役)が登場している。同監督の「サロメの娘 in progress」が詩的で文学的で好みだったので(未レビュー)、同じ脚本で別展開する「アナザサイド サロメの娘 remix」も観ようと思っていたところ。

スコアは保留します。消化できていないので。また観る(聴く)と思います。構造的であることだけはなんとなく理解。
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