mOjako

エクス・マキナのmOjakoのネタバレレビュー・内容・結末

エクス・マキナ(2015年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

脚本家としては既に高い評価を得ているアレックス・ガーランドの監督第1作。一年越しの待ちくたびれた日本公開でしたが、映画館で観れて良かった。前評判通りの素晴らしい作品でしたよ。

アカデミー賞では「スターウォーズ」や「マッドマックス」を抑えて視覚効果賞を受賞した訳ですけど、確かに今回アリシア・ヴィキャンデル演じるAIのエヴァは今までにない人工知能像を体現出来てるなと思って。パッと見たデザイン的にも新しい感じがするんですが、実は本当に繊細な演出がなされていて。冒頭ドーナル・グリーソン演じる主人公ケイレブが自社の社長であるネイソンの自宅に行ける権利に当選し、彼が作った人工知能に対してチューリングテストをしてくれと頼まれる事から話が始まります。通常チューリングテストというのは相手が人工知能であると知らない状態でするものらしいですが、今作では見ての通りロボット丸出しで行うと。しかし、実際にエヴァを目の前にしてみると彼女は機械の身体とは対称的に微細な表情を見せたりケイレブと心を通わせようとする。と同時にやはり完全な人間ではないとも思わされるのは、動くたびに機械的なSEが挿入されたり何よりアリシア・ヴィキャンデルというキャスティングが大きいでしょう。元々女優さんとしてはとってもキュートだけどそんなに表情豊かなタイプではないというか、ミステリアスで世俗離れした感じもあると思うんですがそれが今回の人工知能の表現に完全にプラスになってるなぁと。つまり見た目のデザインであり、音の演出であり、女優のキャスティングと演技であり、そしてリアルに考え抜かれた人工知能の設定全てがあればこそケイレブ及び観客は彼女の存在を限りなくリアルなものとして受け取れる。実際今もし人工知能を作ったらこうなるだろうなぁと思えたし、映画を見てて人工知能の存在をここまで"実感"することもなかったです。

ただ今作が凄いのはそういったリアルに作り上げた人工知能像が物語のテーマとも完全に一致するところかなと。テーマ自体はそんなに目新しいものではなく、"完全な人工知能を作ったなら彼らに人権を与えなくていいのか"あるいは"本当に人工知能が出来たら人間は彼らに凌駕され支配されてしまうのではないか"みたいな問いですよね。物語的に連想したのはもちろん「フランケンシュタインの怪物」だったりその影響を受けた「ブレードランナー」とかでしょうか。どれも父親殺しの話では共通してます。ただ面白いのは今回の人工知能は女性で主人公に恋愛感情を抱き、ケイレブもまた彼女に同情心であり一抹の恋心を抱く。確かに天才で独裁者的な男が人工知能を作るならシュワルツェネッガーではなく可憐な美少女だよなぁと。恋心を通じてエヴァの人間性/人工知能性を主人公と観客は認識していきます。ネイソンがGoogleを思わせる検索エンジンの社長である点も興味深く、セリフにもありますがインターネットの構造は確かに人の思考の構造に近いものがある。あらゆる情報を取捨選択しそれが積み重なって性格や記憶が構築されるので、それを利用してAIを作るという理屈も納得でした。そして大事なのはラスト。エヴァは完全な肉体を手に入れて、父親を殺し、ケイレブも利用して施設を脱出し人間界に解き放たれて映画は終わります。ずっとガラスの中に隔離されていたエヴァが最後にはケイレブをガラスの中に置いていくというのも見事な映画的な反転でした。

解釈の余地はあると思いますがエヴァにとっては自由意志の勝利であり、やはり人工知能が人間と同じように思考するなら抑圧するのは不可能だし倫理に劣る行為であると。一方で主人公ケイレブは最後までエヴァの事を真に理解することは出来ない訳で、彼の姿は人工知能が本当に完成した時の我々の姿でもある。きっと彼らは我々の理解を超える存在になるから。だからホーキング博士は人工知能の研究を止めるべきだと発言してますが、それでも個人的には人間は知的好奇心を捨てられないだろうなぁと。ネイソンみたいな奴がひっそりとやってしまうと思うし、劇中でもケイレブとネイソンが話してますが自分に実現可能な能力があれば作ってしまうと思う。そこまで考えてじゃあ現在の人工知能の研究およびAIと我々はどう向き合っていけばいいのかを映画は最後に問いかけます。エヴァはこの後どうするのか。やはり身勝手な人間達に復讐する?あるいは人間を良き方向に導く為に支配するのか?もしかしたら平和を望み可愛い洋服を着て静かに暮らすかもしれない。我々がそうであるように人工知能といえども彼らに選択の権利はあるし、少なくとも支配や抑圧からは何も生まれないのかなと。
エヴァが肉体を手に入れた時その姿がとても美しく人間っていいなという喜びがある一方で、別のAIから肉体を奪ってもいるからやっぱりちょっと哀しみもある。ネイソンとキョウコのダンスシーンも然り。2人のキレのいい踊りは笑っちゃうんだけどキョウコはネイソンにプログラムされて踊ってる訳でそこには倫理的な不快感も確かに含まれている。全てのシーンでこうだから良い/悪いと一面的な解釈をさせてくれません。またこの辺りはフェミニズム的な観点からも解釈可能で、女を支配しようとする男の姿でもある。特にパンフを見て納得したのは、キョウコのキャラクターは西洋知識人からみたステレオタイプな日本人女性像なんですよね。つまり物静かで、貞淑な、夫を支える為だけに存在する理想の妻。SF映画でありながらこういった社会の傾向にしっかり嫌悪感を感じさせる点も本作の重要なポイントだと思いました。そしてキョウコを演じたソノヤミズノのアンドロイドっぷりはアリシア・ヴィキャンデルに負けず劣らず素晴らしかったです。

長くなりましたがシーンやセリフに隠された意味が多層的で一回じゃ全然満足出来ないというか、もっともっと映画の全てを味わい尽くしたいなぁと思います。何より登場人物は少なく予算もそんなにかかってないと思いますが、SFスリラーとして普通に面白いです。個人的には長く待った分も帳消しなくらい大満足でした。
mOjako

mOjako