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アンドリュー・ロイド=ウェバー ラヴ・ネヴァー・ダイズのaのネタバレレビュー・内容・結末

2.0

このレビューはネタバレを含みます

昔の記録。Show Must Go Onの無料配信。結構失礼なこと書いてるのでスルーしてください〜ところどころ日本語もおかしい。


ALWのチャリティー配信第4弾のLove Never Diesを見た。

円盤にもなってるメルボルン版ですが私は初見。LND自体は去年2月に日生劇場で日本版再演を観劇した。

ちなみにその時は石丸ファントムのTIHYS以降は割と虚無だった。曲はいくつか魅力的で頭から離れなくなってしまうものがあったりもするけど、あのおどろおどろしい世界観の中を流れてゆくよくわからない登場人物たちの心情に取り残されてしまったような感じ。

しかし今回は生ではないにもかかわらず、虚無は回避してかなり集中して興味深く鑑賞することができた。その大きな要因はクリスティーヌを演じているAnne。

他のバージョンは見ないというスタンスでこちらの円盤もスルーしていたのだけど、クリスティーヌに関しては全然好きだった。シエラと同じ系統というか、可憐さという私の抱くクリスティーヌのイメージの中で最も大切なものがしっかり残っていた。

見せ場のラブネバーダイでも、私が注目してしまうのは華々しい高音パートではなく、出だしでいかに迷いや恐れや緊張や不安や期待に揺れ動く心を紡ぎだすかという点。あの瞬間は遠い昔にThink of Meを突然振られて震える声で歌いだした少女を思い起こさせてほしいと思ってしまう。脚本が脚本なだけに、清純で可憐な色気がないとクリスティーヌが図々しくてずるがしこい女に見えてきてしまうのだけど、Anneのクリスティーヌはまさに成熟した落ち着きもありつつ10年前の面影も残す可愛い美しさで理想だった。

声質もシエラのように限りない透明感があって突き抜けるような感じではなく少し柔らかみのある感じで母性を感じつつも澄んだ可愛さを含んだ素敵な歌声。それにしてもあんなに長くて濃くて重そうな異常なつけまつげが似合うとは何事だ…

一方でファントムは、年を取って情けなくなってしまったような印象を受けた。ラミンファントムのパワフルさより、大人の魅力で勝負する系のファントムなのかなという感触だったが、まず10年前に怖くなって逃げだしたというのが納得できてしまうような臆病さ、よく言えば慎重さを感じるファントムだった。でも後になって縋り付いているということで往生際が悪いというか、あきらめが悪いというか、自分の責任を自覚しているのかと問い詰めたくなる。10年分の老いによってあの抗いがたい魅惑的なカリスマ性が衰えてしまったかのような気がして、少し残念だったかな。彼のファントムがどうというより、Anneが私のデフォルトクリスティーヌとあまり変わらずに見えたのに対し、ラミンとの違いが際立って見えてしまったのだと思う。

冒頭のTIHYSはじめ、歌はとても素敵だと思った。

月のない夜に二人は a woman and a man, no more and yet no lessになったそうですがこれはつまりangelでもfatherでもfriendでもphantomでもなく、初めて一人の女と男として愛し合ってno lessになったというわけですよね。一作目のクライマックスでは自分の顔は肉体の悦びをも取り去ったとクリスティーヌに無理やり結婚初夜を迫っていたものの、phantomという仮面をも取り去って他人に素顔を見せること、その無防備さに耐える強さがないという弱さがGossip Girlの闇の王子チャック・バスを思い起こさせました。

しかしそうして逃げ去った後にまた I am your angel of music といって迫るのは絶対違うだろと思った。もう一度彼女の愛を乞うなら、また一人のただの男として現れなければその資格はないと思うのだが、angel と名乗ったことで今作のファントムに失望してしまったのだろうと思う。

ストーリーについて今回気になったのはマダム・ジリ―。いつからあのように嫉妬と恨みに満ちた人間になったのだろうか。前作では自分の芸術(バレエ)に誇りをもって完璧を追求しているようであったが、本作ではファントムを助けた見返りとして彼の財産をいただくために自分の娘を犠牲にするような最悪な母親になっている。いや、本当にどうした…???

メグ・ジリ―の狂気はどう考えても母親がもたらしたものだとしか思えないし、ファントムへの逆上だってファントムに気に入られることができたら母親が認めてくれるからであり、母親の欲望がいつのまにか自分のファントムの注目への欲求となって混同されていただけのように感じた。

マダム・ジリ―は最初らへんにクリスティーヌはと天才と芸術(ファントムの比喩)を捨て富と若さ(ラウル、この比喩はうろ覚え)をとったと憎々しげに歌うが、本当は自分こそが前者の究極の芸術家に強い憧れや執着を抱いていたのではないかと感じられた。

ファントムシリーズは一般的にはファントムと歌姫と貴公子の三角関係の物語として考えられるが、よく考えたら多くの親子関係も出てくる。

ファントムに生まれた瞬間からマスクをかぶせた母親、クリスティーヌの親友でもあった最愛の父、自分の娘であるメグに厳しく接するマダム・ジリ―(1作目ではクリスティーヌを見守りある意味彼女の母親のような役割も果たしているように見える)、一度も息子と一緒に遊んでやったことがない父親ラウル(感づいていて愛せなかったのだと思っていたけど、今回のラウルはファントムの言葉に何故かえらく驚いてショックを受けていた)一番まともな感じで息子を愛するクリスティーヌ、娘を男に売って財産を得るマダム・ジリ―…

ぐっちゃぐちゃすぎて何が何だかよくわからないが、LNDではloveだけでなく俗にその反対と言われる indifference 無関心も描かれている。ジリ―からメグ、ファントムからメグ、ラウルからグスタフなど、物語の主役になれず嫉妬する登場人物たちの怒りや悲しみがちらほらと出てくる。暴露大会まで全く語られないメグの真実の突然の露呈によって物語の主役はメグだったのかと思わされそうになったかと思うと、やはりあの後メグと母親がどうなったのかは全く描かれず物語から消え、クリスティーヌの死に寄り添うファントムとグスタフ(とラウル)で幕が閉じる。

結局主役は最後まで主役で、陰で主役をずっと支えてきた脇役は物語の主人公にはなれず忘れられていくという(自分の体験から感じていること?)を描いたのだろうか…?

ちなみにクリスティーヌは自分の意志を押し殺してラウルのために、「ファントムのために歌う」ことを選んだ1作目に反し、2作目で選んだのは「ラウルの希望よりファントムを優先してファントムのために歌う」ことではなく、「自分が歌いたいから自分の心に従った」ように見えた。つまりクリスティーヌが愛したのはラウルやファントムではなく、芸術だったように感じられた。まあその後ファントムとキスなどしているので、そういうところがこの作品の微妙なところ混乱を招くところともいえるのではないかと思う。twisted every wayで、あらゆるところでつじつまが合わない。

まとめると、クリスティーヌ役のAnneが素敵だったので見ることがよかったということです。
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