むっしゅたいやき

白痴のむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

白痴(1945年製作の映画)
3.8
大人と子供。
ジョルジュ・ランパン。
原作はドストエフスキーの名作。
其の荒筋を忠実に描いた作品である。
純真で子供の様なムィシュキン公爵を演じるのは、ジェラール・フィリップ。

原作は文庫本でも1500頁近くもある長編である。
読了したのも随分前の事で、朧気な記憶で恐縮であるが、印象に残っていたのは確か、

Ⅰ、ムィシュキン公爵の不思議な洞察力、其の喪失と、彼の人間的成長(俗習化)との相関。
Ⅱ、「救われた“スイスのマリー”と、彼女を救った子供達」、「救われなかったナスターシャと、彼女を救えなかったアグラーヤ」との対比。

上記二点であった様に思う。

特にⅡに就いては、個人的に思う処は有るものの、各人の相違が二人の女性の結末、そして個人的に捉えていた本作の主題「聖人が現世に存在したならば、誰かを救えるのか否か」へと繋がっていただけに、劇内での明示に期待したものである。

扨、結果を一言で言ってしまうと、「Ⅰ・Ⅱ、共に描写は無し」。

尺の都合か、Ⅰに関しては公爵の習俗化の描写が薄く、Ⅱに就いては会話の俎上にすら載せられない。
マリーの話其の物が、ばっさりと省略されてしまっている。
この為、メッセージ性や話の広がりに欠けた一本筋だけの作品となっており、「自尊心の高い女性の最後」と云った意図は汲めなくは無いものの、其の結末も唐突な様に見える。
本作より私が受けた「救われなかったナスターシャ」と云うイメージは、「ヒステリックに自業自得の最期を遂げたナスターシャ」へとすり替わってしまっており、死者の顔を撫でる二人の男の静謐で敬虔な祈りすらをも意味の無い仕草の様に見せている。

繰り言となるが、原本は長大な作品である。
この為、其の解釈も一様では無いし、重きを置くシーンも読人に依って異なろう。
併し私には、本作は少々雑な様に思われてしまうのである。

評価に於いては、ジェラール・フィリップの演技を考慮している。
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