りりー

キャプテン・マーベルのりりーのネタバレレビュー・内容・結末

キャプテン・マーベル(2019年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

最高!!!いま世界中のスクリーンで、彼女が暴れまわっている姿を観られるのだと思うと胸が熱くなる。サノス、勝てるんじゃない?!

オーソドックスなヒーロー誕生譚で一見新鮮味はないが、フェミニズムの要素や敵/味方の反転が盛り込まれていることで現在の映画になっている。観ながら思い起こしたのは、『SPY スパイ』(ポール・フェイグ/2015)だ。日本ではソフトスルーの憂き目にあったが、他者に押しつけられた分相応の仕事をしてきた女性が、自身の押し殺してきた才能を開花させていくエンパワメント・ムービーである。もちろん『キャプテン・マーベル』は『SPY スパイ』より十倍は真面目に撮られているが、他者から抑圧されていた女性が自身の才能に気づく点(『キャプテン・マーベル』の、戦闘中にキャロル自身が自分のパワーに驚くリアクションをとるシーンが本当に素晴らしい)、主人公を女性の友人がサポートする点という共通点がある。ただ、これは監督の作風によるものだけれど、キャロルは自虐をしたり容姿を気にしたりしないし、恋愛にも興味がなさそうに見えるので、映画の主人公として(ましてやヒーローとして!)より画期的な女性像であると思う。これは余談だけれど、ポール・フェイグがすきなあまり「あらゆるジャンルで彼が撮った映画が観たい、マーベルも撮ってくれないかな」なんて思っていた気持ちが『キャプテン・マーベル』でひとまず収まった。製作陣が『SPY スパイ』を、ひいてはポール・フェイグを意識していないとは思えないのだけれど、どうなのだろう。

さて本題に戻る。スターフォースに捕らえられたキャロルが、スプリーム・インテリジェンスとの対話を経て自身の足で立ち上がるシーンは感動的だ。女性であるというだけで侮辱され、男性と同じように振る舞うことは許されず、いつも笑顔でいることを求められ、お前は無力だと言われ続ける。踏みつけてくる無数の足をはねのけることで、キャロルはヒーローとして覚醒するのだ。終盤のキャロルの無双っぷりはやりすぎのような気がしないでもないが、宇宙へ飛び立つキャロルを見上げるモニカの目を、そしてスクリーンを見つめたであろう無数の目を思えば、あのやりすぎ感こそ絶対に正しいのである。

もう一点興味深かったのが、悪役のヨン・ロッグである。冒頭のキャロルとヨン・ロッグのやりとりがフラットで良かったので、彼こそが抑圧者だと判明する場面ではびっくりした。さっぱりした男女バディ、良いなあ!なんて思っていたのに。たしかにやや言動がmansplainingかつtone policingっぽいなあと思ってはいたけれど…。終盤、キャロルとの明らかな実力差を認識してもなお自身のルールに従わせようとする小物さには笑ってしまった。それを間髪入れずぶっとばすキャロルは最高!ジュード・ロウ、もともとすきだけれど好感度がさらに上がった(だってこんな役、やりたくないよね?)。

最高!と思いながらも、若干ひっかかる部分もある。テロリストだと思われていたスクラルが実は母国を追われた難民だったという点は、作劇として優れているとは思うもののスクラルが何の象徴であるかを考えれば複雑な気持ちになる。アメリカが荷担した戦争の犠牲として彼らが生まれたことを思えば、アメリカ国旗を身に纏うキャロルを無邪気に賞揚していいのだろうか。もっとも、キャロル自身がスクラルの現状に責任を感じていること、自らスクラルのための新天地を探しに出ることから、製作陣もその矛盾は自覚していたのだろうけれど。

『キャプテン・マーベル』は間違いなく女性ヒーロー映画の新たな地平を開いた。だからこそ、重要なのは次作だ。女性として受けてきた抑圧をはねのけることで誕生したキャプテン・マーベルは、逆説的にどうしたって"女性"ヒーローなのである。この"女性"という冠を捨てて、キャプテン・マーベルが一人のヒーローとして描かれるのをわたしは観たい。ブリー・ラーソンの不敵な笑みを思うに、そのときはそう遠くはないと思う。
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