るる

アベンジャーズ/エンドゲームのるるのネタバレレビュー・内容・結末

4.9

このレビューはネタバレを含みます

令和元年初日に。結局あの日、ほとんどテレビは見なかった。レイトショーで、字幕で。

混雑してたけど、比較的空いてる列で、ふたつ隣の席の女性が序盤からずっと泣いてて、私も心置きなく泣いて笑って楽しむことができた、終映後、よっぽど、あなたのおかげで良い時間を過ごせました、ありがとうございました、ってお礼を言おうかと思ったけど、でもやっぱり知らない女から突然話しかけられても怖いだろうし、気持ち悪いよな、余韻を壊すのも悪いし、ライトなファンが声をかけるのも申し訳ないな、と思ってさすがにやめた。

たぶん特にキャップのファン、アイアンマンとスパイダーマンのファンだったんだと思う、どうやら泣くのがわかってたからすっぴんにマスクで、万全の体制でひとりで、そういう、ファンの人生が垣間見えて良かった、お疲れさまでした、って気持ち。

(こういう躊躇を、いつか後悔するのかな、とも思ったけど、後悔するほどのことでもない、ありふれた日常の中の判断として取捨選択できてるな、声かけられるときはかけてるしな、と気付いて、嬉しい/『アクアマン』見た後、ロビーでこれはDCだっけマーベルだっけ?と話すカップルに、DCですよ!と一言言い放って去っていった女の子、素敵だったな、だよね、ありがと!ってあのカップルの代わりに言ってあげれば良かったな、ちょっとした勇気に、ちょっとした勇気を示せればよかったな、とか、思ったりはするけど)
(アメリカ映画にハマるまえ、NYのメトロで、そのジャケットいいね、どこの?と声をかけてくれたお姉さんのことを覚えてる、forever21で28ドルの、ありふれたジャケットだった、ちょうど9.11の10周年セレモニーの前後だった、あれはたぶん一生の思い出のひとつで、あんなふうに気軽に気さくに振る舞えるときは振る舞えたらいいな、困ってるひとを見かけたら、大丈夫ですか、と声をかけられる人間でありたいなと思って、実践できるように、気持ちも態度もだいぶ訓練した、見た目がおばさんになってくるとまた振る舞い方を考えなきゃいけないけど、なりたい自分になれた部分もちゃんとあるな、と思う)
(身近なヘイト発言に対して、それって失礼じゃない? あんまり言わないほうがいいよね、って明るく言っていくようにしてるけど、でもやっぱり怖い、対応を間違えたら、下手したら殺されるんじゃねえか、怖い、って毎度緊張する、でもやんなきゃ、やんなきゃでしょ、と思ってる/この感じ、小学生の頃に戻った気分、あの頃からなんにも変わってないツラさと、嫌いな自分になるよりマシだろ、というせめぎ合い/根っこが下世話な人間なので、えーと、ごめん、差別的な言い方をするけど、〜だよね、と、咄嗟に言い換えが思いつかないことも多々あるし、なんだそりゃあキ◯ガイじゃねえか、などと露悪的に振舞うこともある、本当に、訓練中だけども)
(大人らしい振る舞いについて教えてくれた、ヒーローたちに出会えて良かったなと思う/特にスパイダーマン、スパイダーバース に出会えたのは良かったと思う、誰だってヒーローになれる、親愛なる隣人として、正しさよりも親切を、と言える、よくやるね、と呆れられても、スパイダーマンの真似しただけ! と言える、他人の子供に優しくするなんて、と眉を顰められても、スパイダーマンの叔母さんに憧れてるから!と言える、そういう、そういう逃げ道、"言い訳"、支えをくれたんだよな、マーベルは…)(センチメンタル)

ロビーでアフリカ系の女性グループやヒジャブをつけた中東系の女性も2組くらい見かけて、中国語も聞こえてきて、事前にネットで予約状況を見て怯んだけど、近場の映画館いくつかあるなかでも、混雑した都市部の映画館を選んで良かったなと思った、世界的ヒット作を多様性に富んだ客席で見られる喜び、感慨、ベストな選択だった

しかし、実のところ、キャプテンアメリカを観ていなくて…致命的なのはわかってるよ! でもいま配信してないんだよ、信じられない、Huluで配信終了するまえに見ておけば良かったんだけど、三月末は余裕がなくて…四月スタートのディズニーデラックスに移行するか迷いに迷ってやめたんだ、アマプラに課金するのは避けたくて…うーん

もう、この時点で観ていない作品があるっていう、自分の日頃の行いの悪さを受け入れてとっとと見に行けよ、ネタバレするぞ、って身内に脅されて見に行った、直前に勘が働いてWOWOWでインフィニティウォー、Huluとネトフリでアイアンマンとスパイダーマンホムカミを自主的に見直したので許してほしい、できる限りの予習はしたんだ、そしてHuluの契約をいよいよ切りたい

めっちゃ泣いたしめっちゃ笑ったし後ろの客席からたくさん笑い声がしてたのも嬉しかったし情緒がしんどい疲れた

観てないのが、キャプテンアメリカ・ファーストアベンジャーズ、ウィンターソルジャー、そしてエイジオブウルトロン。かな。あとインクレディブルハルク。シビルウォーは配信で見たけど読み取りきれずスパイダーマンとブラックパンサーに集中してあとで見直そうと。致命的なのはわかってるんだよ!!

これはつまりどういうことかというと、バッキーとサムが何者でキャップとどういう関係なのかを実のところ未だに把握しきれていない。他のキャラクターについてはなんとかだいたい察せてる、ヴィジョンとワンダについてはインフィニティウォーで時間かけてくれたから邪道は承知で呑み込めている、もろもろ察して楽しめるだけのエンタメ耐性はあるつもり、ストーン集めについても、S.H.I.E.L.D.やヒドラについてもまあ察せてる、キャップとアイアンマンの対立とか、ハルクとブラックウィドウの友愛・親愛…LOVEとか、ただバッキー周辺だけがピンポイントで関係性を示す言葉がわかってない、友情、戦友、でいいのか、上司部下ではないよな? みたいな。 あとホークアイとブラックウィドウのこともよくわかってなかった、おめえ妻は!?そしてハルクは!って思っちゃった、

でも泣けた、それくらいのパワーがあった、褒めてるんだ、不勉強は許してくれ、これからまだまだシリーズを見直す楽しみがあるんだ、いいだろう…

「最低限、アントマン、シビルウォー、アントマン&ワスプを見ておけば、知らない人が出てきてもスコットおじさんの気持ちになって観れるよ!」ってなツイートを見かけて、じゃあ勇気を出して行こうか…って鑑賞の後押しになった部分もあるんだけど、おかげさまでちょいちょいスコットに同調できたのもよかった、楽しい見方ができた、ありがとう…
あとになって気づいたけど、わたし、映画館で観た初マーベル作品は2015年のアントマンだったんだよな、DC作品と見比べつつ、ガーディアンズはDVDで観つつ、2017年に映画館で見たスパイダーマンホムカミでようやくガツンとハマって、2018年のブラックパンサー、インフィニティウォー、キャプテンマーベル、だから出会って4年…出会わせてくれてありがとう、気付かせてくれてありがとう。

それにしても凄かったな、凄かった、アメリカ映画の到達点だと思った、凄かった、凄まじかったよ、アカデミー賞作品賞と監督賞は間違いなくとるよね? とるだろ? とらなきゃ。とりにきてるでしょ、これは。『ロードオブザリング』三部作完結を讃えたように、『エンドゲーム』にあげる流れだと信じてるよ。

父娘、父息子、母息子、兄弟姉妹、師弟、恋愛、友情、ありとあらゆる関係性を見せて、インフィニティウォーの「エイリアンっていう古い映画知ってる?」「…」に引き続き、オタクっぽくSF映画のタイトルを次々とあげた上で、アルマゲドンなんかも思わせて、タイムトラベル…西部劇風の音楽、ラストカットは往年のロマンス映画風、凄い、凄すぎた、凝縮されすぎ、任侠映画、時代劇オマージュには笑っちゃったけども。

ファンの見たいやりとりがほぼ全部、丁寧に、時間をかけて贅沢に詰まっている感じが凄かった、あまりにもリラックスした会話が続くもんで、これはとんでもない、ファンムービーでは? 公式が同人誌というやつなのでは? ライトなファンはついていけるのか? となんだか余計な心配をしてしまったもんな…作り手がシリーズを愛してるからこそ、こうなったんだとわかって良かった
公開前に、「上映時間三時間もハラハラするのは辛すぎるから開始十五分でサノスを倒してあとはみんなでパーティーしててほしい、それでも全然見るよ、需要あるよ」ってなツイートを見かけて、
そうだよなあ、豪華キャストが集結してるシリーズ、そういう映画が一作くらいあってもいいよな、なんて思ってたんだけど、実際やられると驚愕した、『スーサイド・スクワッド』のバーのシーンの超豪華版という趣も感じた、
SNS、双方向コミュニケーション時代、ファンダムのニーズを織り込んでオタク向け映画を作る、最新の映画製作手法をこれ以上ない巧みさでやりきった感じがした、これが手本、って感じ、さすが。
(ディズニー&ピクサーの一連の新作に思い出が汚されたとファンが嘆いていたり、スターウォーズの行く末がいろんな意味で不安しかなかったり、ファンダムとうまく付き合えていない映画シリーズが多い中で、すごいなあと…私はハリポタの行く末にハラハラしているので、あれも凄いんだよ、ただ作者を信頼しきれていないので…)


ホークアイの話から始めるのか、そういえば彼のことあまり知らないな、と思っていたら、そうか彼はこのタイミングで「サノスのアレ」を知ったのね…とぐっときた、お隣がもう鼻をすすってた、おかげでスイッチが入った、ありがとう。

辛いとき悲しいときでもユーモアを忘れない、アメリカ映画らしさ、昔はお笑い芸人が大袈裟な身振り手振りでネタにしてるのを見て笑ってたけど、大人になってから、あの振る舞いが一体どれだけ人生を生き抜くうえで大切な資質か、ということがわかってしまったよね、
宇宙にひとり、悠久の孤独、小学生の頃に『火の鳥』を読んで以来、ぐっとくるシチュエーション、『ゼログラビティ』『オデッセイ』『インターステラー』なども連想しつつ、ネビュラのことなんだと思ってんだロボットじゃねえぞと思いつつ

弱っているトニー・スタークは愛せるなって、これはいわゆる萌えに近いのだけれど、傲岸不遜な男が壁にぶち当たって打ちひしがれて自己を省みる姿を見たいという、若干のミサンドリーと加虐性を含んだ感情なのであんまり良くない欲であることは自覚している、フィクションで昇華しているぶんには許されたい、すまない(と己の感情や欲の正体を解体して分解しすぎて病んだことがあるので本当に良くない)(ちょっと情緒がよろしくない状態で見たけど最後には元気出たからやっぱりありがとうと言いたい)

助けに来たのはキャプテンマーベル、あのクールな笑顔、やっぱり嬉しくなってしまった、なんだかまだまだヴァース時代が抜けてないな、キャロル・ダンヴァース、どこが感情的な女なんだよ、って思ったけど、

あの一見、情が見えない、協調性がない女、こっちもいろいろ事情を抱えてる、ひとつ所にかかずらわってる余裕はない、と常に効率の良い最短手段を選びたがる女、めっちゃくちゃかっこいい在り方だな、と感じてしまって、そんなふうに思ったことにびっくりした、とことんウエットなドラマが似合わない女、サバサバ、ここまでとは思わなかったけど…新鮮で
あれ困る、迷惑なのはわかるんだけど…ちょっぴりシンパシーを感じてしまって…能力があって仕事さえこなせば、ああいう在り方をしてもいいんだな、べつだん気を遣ったり自己嫌悪しなくてもいいんだな、って思えたな、なんか、ありがとうな…難しいけど…
しかし、あの共同作業に向かない感じ、決して軍人の在り方ではないよな、大丈夫なのか、キャロル・ダンヴァース、設定に対する謎は深まったぞ

アイアンマンとキャップの再会、坊やが…、ああ辛い、ポッツが無事で気が緩むトニー、仕方ないね。
車椅子、苛立ち、取り乱す姿にも社長節を感じられたのは良かった。

ずっと紅一点扱いの印象だったブラックウィドウに、初めて人間味を感じた、というか、ようやく彼女の内面が描かれたと思って、一気に好きになってしまった、ちょろい。
ずっと、男好きする、どことなくセクシーな役柄を演じてきたスカヨハ、今作で初めて好感を持てた、年齢が追いついてきたということなんだろうか…孤独な大人の女性で、仲間のことを家族だと思ってる、あの穏やかな表情から、演技に深みを感じられて良かった、
『ゴーストインザシェル』のホワイトウォッシュ騒動といい、トランスジェンダー役の降板騒動といい、30代に入って仕事選びがいまいちうまくいってない、あんまり良い印象がなかったんだけど、応援したい気持ちになった。『デブラ・ウィンガーを探して』いわく、若いころは"若い女"の役を演じていればいい、そういう扱いなので気付きにくいが、女優は年齢を重ねると仕事がなくなっていく、美しすぎるおばさん役の数は少ない…そんなの、はねのけていってほしい

ガーデンにて悠々自適生活のサノス、はー、独裁者の老後ってか、はー、晴耕雨読、『HUNTER×HUNTER』のディーゴ総帥みてえだな、マジか? って思ってたら首を落と、え、マジで? サノスここで死ぬの? こんなにアッサリ? そして5年後、5年後!? は!? この状態で!!!5年も!!!!待機!!!!5年!!!!

と仰け反った、辛すぎるだろ、嘘でしょ、笑ってしまった、だってあのインフィニティウォーからエンドゲームまで5年も待たされてたら悲しくて寂しくて心折れてるでしょ

セラピーを開催してるキャップ、偉いな…マッチョイズム一辺倒ではない、賢くて優しい、新時代のヒーローだ…と思えた、

髪を切ったキャロル、かっこよかった、でも、「また散髪か?」なんて普通に失礼じゃない? と『キャプテン・マーベル』鑑賞モードで思ってたら、あの口の悪いアライグマが謝ってたな、すごい、70年代被れのガーディアンズ vs 90年代の女、世代のズレ、ノリの違い、という見方もできて、お互いへの敬意さえあれば、良さを失わずに共存できるんだな、と小さな希望を見た気がした。
吹替だとあのおじさんの顔がちらついてそういうふうには見れない気がしている、悲しい。
キャロル、家事や子育てやダブルワークをしながら職場に顔を出しては定時で帰っていく超有能な女にも見えて、描写はやや古いが現実には即していると感じた。ひと昔前の日本のドラマで描かれたスーパー派遣社員みたいだなって思ったけど、フリーターの天才外科医キャラがいまも現役だったな、おい停滞がひでえな、日本の労働環境、それはさておき。

アントマンのカムバック、どうやって戻ったの!? ネズミ!? 5年!!!とびっくりしつつ、
失踪者の名が刻まれた石碑を必死で見て回るあたり、ああ、9.11だ…親しいひと、愛するひとの生存を願って走り回る、いろんな映画が描いてきた、9.11の記憶だ…と察して泣けた、
3.11も連想した、この感じを我々は知っている、共有できている、と思った、アメリカ映画に対してこういうシンパシーを持てたのは初めてだったかもしれない、ノレた

アメリカって本当に敗北を知らない国、敗北を乗り越えて克服して、なかったことにしてきた国だと思ってきたけれど、インフィニティ・ウォーはアメリカ映画史上おそらくこれ以上ない敗北の物語で、そしてやっぱりそこには9.11を重ねるんだな、現在のアメリカにとって9.11が苦々しい敗北の記憶、屈辱の記憶だというのは本当なんだなと、生々しく伝わってきた、
トランプの勝利、リベラルの敗北、などというスケールの話じゃないんだ、9.11という敗北を契機にした泥沼のイラク戦争、テロとの戦い、監視社会の強化、異教徒・他人種・他国籍に対する不要な警戒、そしてもろもろの分断混沌…それらアメリカの歴史は、武器商人アイアンマンの歴史、アベンジャーズの物語の歴史でもあって…なあ。

アントマンの娘、姿を見た瞬間から泣けた、そしてアントマンことスコットの第一声が苦笑混じりの「大きくなったな」だったのがもうね…幼い娘の成長を生きる希望として楽しみにして見守ってきた彼が、無事で良かったと声を震わせるでもなく、失われた五年を惜しむでもなく、安堵で笑っちゃったあたり、本当に良い父、良い奴だよなって

予告編で見た、本部のインターホンに写るアントマン、なんとかなりそうな予感に笑っちゃった、なんかもうほんと感情が忙しかった、なんちゅう映画だ、

娘ができたトニー、良かったねとか色々…息子じゃないんだ? 逃げるなよ、父息子の関係に悩んできた男として息子との関係に向き合え、今作、父娘多すぎだし、アメリカ映画め、娘に嫌われたくない父をどんだけやるんだ、と作劇に対しては思ったけど、要素が多くなるのかな(息子のような存在としてはピーター・パーカーがいるし)(娘を犠牲にした父サノスとの対比だろうな)(その点、ハリポタ舞台版台本は続編としてマジでchallengingで良かったから未読者は読んでくれ)

とはいえ、こみ上げてくるポイントが多すぎたよ、

メガネをかけたハルクの登場で、後ろのほうから男性の甲高い笑い声が上がって、それがスイッチになって客席全体が思い思いに声出して笑うようになった感じがしてすごく良かった、本当に良い回で観ることができたと思う、
ファンと一緒に写真撮ってあげるあたり、アクアマンを思い出しながら笑ったけど、アントマンを知らない、そうか、気にするなよ! いいよ仕方ない、いいじゃないか一緒に撮れば!いやいいよ知らないんだろ? 知らない、あのやりとりは本当に腹かかえて笑った、キャスティングが良すぎる、絶妙だよな、マーク・ラファロ…本当にプライベートでこんな会話してそう、という…結構大きな声で笑ってしまったけど、紛れるくらい客席全体が笑ってて良かった、楽しかった、

ホークアイの日本語には、え?なんだって? と前のめりになってしまったけど。真田広之はいつだって、ちょっぴり妙な日本描写を全力で演じていて、偉いよな…! あの漫画・アニメキャラっぽい台詞まわしは頑張ってたと思う、殺陣も魅力的だった。ヤクザなのかサムライなのかわかんなかったけど、映画文化オマージュ全部盛りしたかった意図はわかるし、あの渋い見た目、キャラ立ち、良かったと思う。デッドプールのことを思い出したりもした、

タコス美味しそうだったな、チャイニーズ・デリも。あれはこの映画の脚本会議の様子そのままなんだろうなと感じられて良かった、ああいうメタっぽい描写すき。

時間泥棒、まさか、なかったことにするのか? と嫌な予感がしたけど、そうじゃないんだ、と何度も否定されて良かった、今作のタイムトラベルに伴う理論、とても良かったと思う、過去ではなくあくまで現在、共感できる言葉でいっぱいだった。「SF映画の名作が間違い?」笑った、間違っててもいいんだよ、という精神も感じた、良かった。

そうそう、ニューアスガルドには笑った、植民されてるー! 5年のうちに! でも、神々が堕天して人間としての営みを、という意味では正しい姿なのでは。ソーは、良かったんじゃないかな、女性ファンの悲鳴じみた声や男性ファンの、おおう…という苦笑も聞こえたけれども、本来の彼という気がしたよ、
最近の映画が描く、いわゆる“中年の危機”の文脈だとわかったので、苦笑しつつも安心して見られた、挫折からの復帰、停滞からの再起を描く上で、必要だったとは思うけれど、その役目を振られるのがソーなの? そういう意味ではソワソワしてしまったけど、彼のおかげで悲壮感そこそこで、ちょうど良かったと思う、
作中ではアッサリと描かれた、サノスにトドメを刺した瞬間に5年も囚われているあたり、彼には彼の物語がある、でも客観的に見るとちょっとズレている、その滑稽さや悲壮感や切実さを伺わせた上で、わかるけど、でもやっぱり前に進まなくちゃね、と思わせてくれてよかった、ウエット過ぎず、しかし茶化すことなく、優しく寄り添っていて良かった、いろんな傷を負った観客がいることも感じさせてくれた、アライグマ良い奴だったな…
目に光が戻る、ってこういうことを言うんだな、とわかる表情の変化、わかりやすい演技、クリヘムさんの魅力がアップしたと感じた。存在感があるし、コメディの才能があるよね、やっぱり。陽性の魅力、クリヘムぢから。

そしてタイムトラベル、AOU見ておけば良かったなチクショウ! こういうの好きなのにな、そのことを早いうちに教えてくれてありがとな、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』!金曜ロードショー! などと思いつつ。(ハリポタ3もね! 舞台版『呪いの子』のタイムトラベルも最高だった)

ロキがロキらしかったので良かった、兄弟の話、改めて見たかった気持ちもあるけど、もう散々やったしな? ロキ主人公でドラマもやるんでしょ、ならいいよ、という感じ。

ソーはね、マザコンを肯定するつくりなのが良かったんじゃないかな、大人の男をあんなに直球で甘やかす描写、あんまりないでしょ、誤魔化してなくて良かったと思うよ、
ナタリー・ポートマンの美しさに改めて驚嘆しつつ、母の代替としてのガールフレンドだのを求めるまえに、まずは思う存分、母と向き合いなさいよ、恋愛するにしてもそれからだよ、そんなに母が好きならプライド捨てて一度甘えなさいよ、という示唆、赦し、癒し、良かった、この手の物語への新しい答えだとも感じた、
(ディズニーなんかがやってる最新の少女向け物語の、吊り橋効果で恋するな、まずは自分の問題と向き合ってから、という教えと似通ったものを感じられて良かった)
(ドラえもん、のび太のおばあちゃんとは似て非なる、と感じた、子供が無条件に愛されていた頃の記憶やルーツを確認して自己肯定を得る物語、児童文学の文脈とはまたちょっと違う、大人向けの物語としての文脈があったように思う)

しかし、スターロードのあの最高にホットなオープニングを別角度から見せて、アホなのか? とツッコむ、良かったな…ネビュラがどんどん好きになっていったからすごい、

そしてキャプテンアメリカについて全然知らないなりに、悪党の耳元で「ハイル・ヒドラ」と囁くキャップ、背徳感が凄かったな…清廉潔白が服を着たような人物の口からそんな言葉が!? 聖人が悪をまとう色気にゾワッとできた、最強にセクシーだった。

どう見たって悪党じゃないか、というスコット良かったな、小さな相棒の大活躍、いろんなフィクションを連想できて良かった、

キャップ vs キャップ、ファンが見たい対決カード、という感じ、定番だけど、やっぱり正義感を持った人間ほど、自己との戦いの図になると面白いよな。(これは『ミュウツーの逆襲』以来の感覚かもしれぬ)

「バッキーは生きてる」、その情報で過去のキャップに隙ができるあたり、現在のキャップと過去のキャップの優劣を決するのは友の生存を知っているかどうかというあたり、エモい、過去の自分には、これを言えばいいとわかってた、この頃の自分の喪失感の正体、弱みを的確に把握してたわけでしょう、すごいぞ、キャップ。グループセラピー仕切ってただけある、喪失感は弱さに繋がる、そして喪失感が埋まったところで劇的に強くなれるわけでもない、喪失感を飼い馴らしてきた男のほうが僅かに強いのだという、経験の厚みを感じられた

キャップへの"アメリカの尻"呼ばわり、男性へのセクハラと感じて、むず痒くなってしまったけれど、キャップ自身に自己言及させることで緩和させたうえ、否定も肯定もしないが、公式、本人の耳にまで届いているぞ、と示すことがファンダムへのたしなめにもなっていて(だってこれでAmericanassという呼び方が公式に認められたわ!って浮かれてるようなファンはやっぱりちょっと、控えたほうがいいんじゃないのって周囲から言われるのでは…男性が女性に言うのがダメなら女性が男性に言うのも良くないよね、って、そのうえで、クールではないとわかったうえで使っていくうちに言葉ってのは廃れていくんだろうなと思う…男性が女性に対して使うような言葉を私たちも男性に対して使いたい! なんで女性ばかりが言葉に気をつけなくちゃいけないの!っていう鬱屈の発露でもあると思うので、残っていくとは思うけど)上手く処理しているなと。

そして、クリス・エヴァンスって見れば見るほど、アメリカのハンサムだよな…この表現も差別的かな。一昔前の男性のセックスシンボル、一昔前のというのが大事だな

にしても、ストレンジがサノスにタイムストーンを渡したと聞いて顔色を変えつつも、タイムストーンを渡す決意をしたエンシェント・ワン、弟子のことを信頼しすぎでは、エモすぎでは…? 彼を最高の魔術師と見込んだのがそもそも間違いだったかも、と自分の選択に一抹の不安を感じつつ、弟子の選択を信じて後援する、
あの瞬間、自分の判断能力は信じられなくなってしまったけれど、それが弟子の判断ならばと信じて賭けに乗ってベットする、勇気と決意よ、自分が彼を選んだという責任を全うするためには彼を信じて全てを託すしかない、一連托生感、腹の括り方、師弟関係、息を飲んだ、

今作のドクター・ストレンジパート、事細かに説明はしないものの信頼関係が交錯するエモい描写ばかりで、良かったな…

そして70年代へ、アツいな、スタン・リーにもグッときた、

ピム博士、若い頃のマイケル・ダグラス、良かったな…このための配役、という感じがした、サミュエル・L・ジャクソンの若返りにはノレなかったけど、ああいう技術があると知った上で見る、往年の、70年代のマイケル・ダグラスを再びスクリーンに蘇らせる、というサプライズ的な趣向は良かった、映画愛、名優へのリスペクトの文脈で見た

ただでもやっぱり、ちょっとグロテスクかな…死人を蘇らせるどころか生きてる人間の見た目を自在に操れるとなると、もう本当になんでもありじゃねえか、『コングレス未来学会議』まであと半歩じゃねえか…とは。どうしても引っかかる、本人の許可なく勝手に、例えばファンダムの手で気軽に高品質なものが作られるようになったときがターニングポイントだよな、たぶんな

父と対話するアイアンマン、定番の描写とはいえ、本当に本当に良かった、アイアンマン2を特に思い出しつつ観れたので泣けた、ずっと泣いてた、忙しなく、軽やかだったのが良かったねえ、良かった。キャップも恋人を窓越しに、良かった。

ブラックウィドウとホークアイに関しては、まず、なぜおまえらふたりで行ったんだと。レッドスカルの提示する条件はネビュラも知らなかったのか、いやそれでも…
サノスの、娘に対する壮絶な愛を観せられた後だと、あのレベルの愛の物語をこのふたりに重ねていいのか、おまえらの間にそこまで唯一無二の愛はあるの? ないでしょ、あっても困るし、と戸惑ってしまった、今作がホークアイの物語から始めた理由はわかった、ブラックウィドウの人間性を見せた理由もわかった、『ブラックウィドウ』単体作品の公開も予定されている、死ぬのはナターシャだろう、しかし…

ハルクもといブルースといい感じだな、と微笑ましく思っていたので、混乱した、あとやっぱり、ホークアイに対して、妻は? 消えた妻への愛や子供たちへの家族愛よりナターシャへの友愛が勝るなんてことは恐らくないのでは、足の引っ張り合いするまでもないでしょ、と思ってしまった、台詞のやりとりが気持ち良くなかったのかも、
どちらも、相手が死ぬくらいなら自分が、自己犠牲精神というよりも、こいつが死を選ぶまえに俺が死ななきゃ、という奇妙な助け合いに見えたな、自己犠牲を讃える英雄的行為に見せなかったあたり、製作側の志の高さを感じたとはいえ。そしてガモーラと同じく、死んだことをキッチリと見せる、うん…今作では生き返らないんだなと

ナターシャの死を惜しみ糧にする男たちにはちょっと昔ながらの気持ち悪さを感じてしまった、ブルースに個人的な哀切をもっと叫ばせてほしかったんだと思う、あそこだけ、昔ながらの男たちのプライド、互いへの牽制みたいな歯切れの悪さを感じてしまった、俺たちのマドンナ、紅一点が死んでしまった、仲間の前では取り乱さないけど、彼女のためにも頑張ろう、ってなんだそりゃ、ずっとエモい描写、人間関係をやってきたのに、ここだけ抑制を効かせるのか、なんて。作中描写でここだけ、どうしても物足りず。次作に興味を持たせるため、あえて綻ばせた部分にも感じて、うーん、そういうところだぞ。

この五年間を、なかったことにはしないと確認する、良かった。アイアンマンは娘を失いたくないだけだろ、というエゴも感じたけれど、(『アバウト・タイム』なんかも連想)
そもそもの動機がエゴに基づくのだ、戻ってきた人々の五年間の空白、消えなかった人々との時間軸のズレはどうすんのと思ったけど、
そんなのはいいんだと思った、元通りにしたいわけじゃないんだ、ありえたかもしれない未来を夢想したいわけでもない、ずっと現在の話をしている、喪失感を抱えた現在と向き合っている、このまま時が進むのは、この現実がこの先も続いていくのは、あまりにも寂しすぎる、
ただ、この現実を生き抜くための選択をするんだ、彼らを呼び戻すことでのしかかってくるであろう時の重みを受け止めていく、それに足る価値があることをするんだ、消えていった彼らには、それだけの価値があるんだ、壮絶な覚悟と感じた、

ハルクが指パッチンする際、シャッターを下ろすあたり、万が一、失敗して人知れず全滅したらどうすんだよ、そういえば、キャプテンマーベルは? と思ってしまったけど、外では着々とネビュラが、サノスを…

戻ってきた世界、小鳥のさえずり、生命の気配、光差すガラスの向こうを見るスコット、美しかったね…

そこへ打ち込まれる爆撃、いや、もう、すごい、小さく悲鳴よ。天国から地獄、ハラハラよりヒヤヒヤ、サノス、なんという復活の仕方、ゲートを通って過去から現代へと敵が追ってきた、あれか、ドラえもんの魔界大冒険か、違うか、違うな? でも若干の既視感

突然の攻撃に対する混乱、互いの無事を確認しながら、溺れそうになるあたり、とことん省略したりせず、丁寧に作られてたよな…ガントレットを持って走るホークアイ、大丈夫なのかよと心配になりつつ

サノス、大義がどうの言ってるけど、結局、世界征服したかっただけなんじゃねえか、サノスが人口を半分にした、という脅威を人々に与えて、ショック療法的に自身の存在を生き残った人類に知らしめて刷り込んで、歴史に名を刻んで満足して、隠遁生活しようとしてたんだろうけど、
そうね、そりゃ過去の記憶がある限り、人類に怨みは残るし反乱を起こすわよ、何世代かかってもね、歴史の常でしょ、それに気づいたからって、なんだよ、結局、世界を粉々にして新人類を作り出して新世界の創造主として崇め奉られるのがお望みなのかよ、

陳腐だな、馬脚を現したなサノス、なんて、あのへん、瞬間的に、過去のサノスと処刑されたサノスが重なって混じり合って、ニヒリスティックになってしまったんだけど、

白状しよう、いままで大義を掲げて数多の暴力と征服を遂行してきたが、いま、これから地球を蹂躙し殺戮を繰り広げ滅ぼす行為については、"楽しむ"と宣言した、あの、まがまがしさ、邪悪、凶悪としか言いようがない、あの、底冷えするような悪意、宇宙船から降りてきた化け物たち、

まさに悪魔、サタンの軍勢としか思えなくて、いっそ唖然とした、

大義を掲げて戦争を仕掛ける者たちよ、お前たち、本当にそこに、加虐性や嗜虐性がないと言い切れるのか? 殺戮に娯楽と快楽を見出し、勝利の酩酊を得ているお前たち、それは本当に、大義のためなのか? 人間が持つ根源的な悪の部分を突きつけるような、凄まじい、凍りつくような迫力、絶望、恐怖があった、

SF映画として、エイリアンの襲来図としても圧巻、

あのおどろおどろしい軍勢に、画面左下でひとり対峙し、立ち向かうキャプテン・アメリカのショット、あれ、ポストカードで欲しいくらい、壮絶な絵だった、宗教画のようだった、

そして通信、あの黄金のサークル、ポータルズ…アツすぎた、最初に登場するのは陛下なんだな、妹シュリもいる、オコエ良かったねえ、本当に良かったねえ、からの、

みんな来た、スパイダーマン 、坊や待ってた、シレッとしてるドクター・ストレンジ、「これ以上?」と口を出すウォン氏、泣き笑いって幸せな体験だ…
一度は散った仲間たちが復活して助太刀に、漫画版『封神演義』の最終決戦を中学生の時に読んで以来グッとくるシチュエーション、思い入れの度合いを考えれば、あのアツさに匹敵することなんてなかなかないだろう、全員戻ってくる、全員の描写がなされるなんてまず滅多にないことだし、と思ってたけど、ちゃんと超えてきた、凄かった…

背後にワカンダ王国を背負った陛下、戦士たちを率いて鬨の声を上げるティ・チャラ、カメラが引いてその全貌が見えてくる、インフィニティウォーの最終決戦を瞬時に彷彿とする、あの草原をここへ"繋げた"のか! あの軍勢全部をここに持ってくるのか! という興奮が、まさに総力戦、多様性に富みすぎるほどに富んだ面々、

そして…「アベンジャーズ!」キャップの高らかな発声、名乗り、静かに、しかし力強く噛みしめるように囁かれた「…アッセンブル!」鳥肌。

キャップに思い入れは正直ないけど、あの瞬間、先頭に立っているのがキャプテン・アメリカでよかった、彼でよかったと思わされてしまった、ずっとトランプ批判をしてきたクリス・エヴァンス…彼で良かった、たしかに、たしかにヒーローだった

映画の原体験のひとつとして、『ロードオブザリング』の最終決戦を超える白兵戦、集団戦はないだろうと思っていたけれど、超えてきた、ついにそんなものが見られた、すごい。
『ブラックパンサー』の最終決戦を見たとき、たしかに『スターウォーズ』ep1の最終決戦を彷彿としたけれど、ep1の興奮を越えはしなかったんだよな。
最近だと『レディプレイヤー1』の最終決戦もアツかったけど、あれはまたちょっと質が違うし。

今作の最終決戦、ほんと見応えあった、戦場がひとつで、一方その頃こちらでは、という切り替えがないぶん、ずっとアツい、どの共闘カード、対戦カードに注目すれば、と迷うより、ただただ全員を応援できる、なかなかないよな、こんなの

ヴィジョンを失ったワンダがサノスと対峙する、俺はおまえのことを知りもしない、とすげないサノス、怒りに動揺することなく冷静に食らいついていくワンダ、良かったな…かっこよかった、

結局、大男サノスにヒーローたちがしがみつく形になるんだな、絵としてはどうなのか、とは、そりゃ思ったけれども。

太ったままのソー、北欧バイキングの海賊なんかも連想して、まあいいんじゃないかと、それにしてはプロレスラーや相撲レスラーのような重量感に欠けたのが残念だったけどね、重い一撃を食らわせて欲しかったところだけど

スターロードとガモーラの邂逅、笑えたな、姉妹の物語もアツかったけど

ピーター・パーカー、ほんとに良かったな、五年間消えてた自覚がないだと、待ってくれ、公開が控えてるファーフロムホームはどういう時系列の設定になるんだ? と一瞬思考と気持ちが持っていかれたけど、
坊やを抱きしめ、抱きしめられたアイアンマン、良かったな、ホムカミで、ハグじゃない、車のドアを開けるだけだ、などと言ってた奴が…なあ。アイアンマンの成長物語としてパーフェクトだったと思う。

ドクター・ストレンジとアイアンマンのやりとりも良かった、1400万通り見た、勝利の道はたったひとつ、これがその一択か? 今それを言うとダメになる、…、あの僅かなやりとりで、少なくとも、ここまでの手順は正解、正しい道筋を選択できた、事態は順調に進んでいる、と確認する、頭の良い人たちの言葉少ななやりとり、という感じ、良かった。

スパイダーマンが躊躇うことなく例の、即死モードを選択したあたりヒヤリとしてしまったんだけど、ガントレットのバトンリレー、ラグビー、アメフト、やっぱりアツかったし、

キャプテン・マーベル、凄かったな…! 気持ちよかった、もっとじっくり見たかった気もするけど、充分。『封神演義』でナタクが単騎でカコテンを撃ち堕としてみせた絵も彷彿とした、オタクなんだ、もう仕方がない

ピーター・パーカーを守るように、佇むキャプテン・マーベルのもとに、女性ヒーローたちが駆けつけ、ずらりと並んだ瞬間、声を上げて泣けてしまった、いるじゃん、こんなに。誰だよ、女性ヒーローは少ない、いない、なんて言ってたやつは。マーベルのプライドを見た気がした、まあでも、満を持しての作品だった『キャプテン・マーベル』単体としての腑抜け具合はしばらく忘れませんけれど…『ブラックウィドウ』の物語をよほどうまくやってくれなきゃ、とは思いますけど…

しかし、あそこまでやって、サノスにガントレットを奪われてしまうの? またしても装着を許してしまうの?またしても指パッチンされてしまうの? 嘘だろ?と、ハラハラというより呆然としてしまった、なにやってんだ、キャプテンマーベル…そして、今回は右腕なんだな

文字通り、ぬるりと石を奪ったアイアンマン、

そしてドクター・ストレンジとのアイコンタクト、指一本、これが一択、予感していたのだろう、宣告を受けて、指パッチンしたアイアンマン、サノスの「私は絶対だ」に対して「ならば、私がアイアンマンだ」という台詞、ん?どういう返事だ、と読み取れなかったんだけど、
アイアンマン1の、あの名台詞のリフレインなのな、せっかく予習したのに吹替で観ちゃってたから、咄嗟に繋がらず…吹替のあの言い回しがめちゃくちゃ印象的だったから、エンドゲームのこの台詞も吹替で確認したくなってしまった、悔しい、

さておき、あの指パッチンの瞬間、なにを感じてたかというと、

あれ、やっぱり、あの五年間、彼がずっと夢見てきた、思い描いてきたことなんだろうなということ、娘が産まれ、家族水入らずで幸せなひとときを過ごしながらも、あのとき消えていったのが、彼らではなく、お前たちだったら、お前たちに味あわせてやりたい、同じ方法でお前たちを消し去ってやりたい、人口を半分に、それで消えるのがお前たちだったらどうするんだと、お前たちのほうが消えろと、きっと何度も何度も想像して考えてシュミレーションしてきた、

そうじゃなきゃ、あの局面で、咄嗟にあの願いを込めて、指パッチンできないでしょ。

そして全てを受け入れて、無言で消えていくサノス…おまえ、おまえな〜! それならそれでと、敗北もまた覚悟してた感じ、それならおまえ、最初からな〜!

まあサノスに付き従う連中も、無作為な人口半減という条件だと自分たちが消えてしまうリスクもあったはずなのに、承知の上、覚悟の上で追従していたわけでな、すげえ統率力、カリスマ性だな、とは思っていたけれども…本当に、映画史に残る、すごい悪役…

(愛娘を失い目的を達成して隠居生活して私もお前たちと同じだと宣ったサノス、目的のために殺戮を楽しみながらも自身の消滅はすんなりと受け入れたサノス、同一人物として齟齬はないと感じられたのも凄かった)(ネビュラではなくガモーラを選んだサノス、という意味ではどう思えばいいのか、ネビュラのことはそんなに愛していなかったからあんなふうに辛く当たっていたということなのか、利用できる手駒として優劣をつけただけなのか、無作為と言いながら無作為ではなかったのか)(故郷の人口を半減させてそれでも滅んでしまったから、今度は人類全てを巻き込んで、自分の正しさを証明したかったのかもしれない、過ちを認められず、目を背けたくて大義を掲げたのかもしれない、ダメな経営者みてえだな、サノス)(同情はしないし、やっぱり彼の大義はガバガバだったよな)(日本の人気政治家がサノスと同じこと言い出してて笑った、どこかの時点で謝って同情を買って帳消しにする気なんだろうな、それともマジなのか、それはさておき)

やられたらやり返す、結局、そういう答えしか見つけられなかったのか、という悲しさは湧いたんだけれども、この選択に関しては、なんだろう、戦争の決着、壮大な物語の帰結、ヒーローによる大義のための自己犠牲というより、
個人の、私的な恨みの解消、別ルートの模索、"そんな簡単にコトがなされるなら、それなら、こっちのパターンも見てみたい""サノスと同じく、個人的動機による大量殺戮をヒーローの私がやる、罪なら私が背負ってやる""これでフェアだろ、どうだ"という結末に感じて、そこまでイヤさは感じずに済んだ、

あんな辛い思いをしたんだからやり返すのは当たり前だろ、同じことをしてしまっても仕方ないだろ、と同情して許してしまう、そういう思考と情動が危険なんだ、ポピュリズムに繋がるんだと言われたらそれまでだけど。物語として、カタルシスを持って見られたし、この期に及んで国家のためだの人類のためだの大義を持ち出さず、エゴとエゴのぶつかり合いとして、個人の物語として描いたあたり、ヒーローの矛盾、戦争の矛盾、アメリカの矛盾について、長年描いてきたシリーズの一区切りとして、アメリカ映画として、精一杯の落とし所となるように苦心されていたと思う。

限りなくリベンジに近い、アベンジとして見たよ。

瀕死のアイアンマン、駆け寄るスパイダーマン、やっぱり泣いてしまった、お隣の客がもう号泣だった、でも仕方ない、仕方ないよな

あの場にポッツがいたのが、すごいよな、良かったよなって。ヒーローの帰りをただ待つだけのヒロインじゃない、共に戦場へ、あたりまえのように。ヒーローと肩を並べて共闘するわけでもない、そういう、映画としての見せ場作りのためにいる闘うヒロインでもない、ただ、それぞれの任務を全うするために戦場に赴き、運良く、愛する人の最期に居合わせることができた、看取ることができた、新時代のヒーローとヒロインの在り方だと思った(現実を考えれば、夫婦揃って一兵卒として戦場に送られるような軍の在り方はどうなんだというのはさておき/S.H.I.E.L.D.、ニック・フューリー、軍や国連との関係を描くことを最後の最後で放棄したという見方もできる…とはいえ)、前段で女性ヒーロー勢揃いシーンがあったこともあって、ご都合主義を感じずにすんだ、良かった

そして葬式、スーパーマンのように過度に英雄化されなくて良かった、親しい友人たちが集うこじんまりした葬儀、『ビッグフィッシュ』をちょっぴり連想、

ハッピー…喪服を着たピーター・パーカー、年若い君はそんな格好してくれるなよ、と思ったけど、彼は両親も亡くしてるんだよな、マリサ・トメイことメイおばさんが寄り添っていて良かった、安心できたね…
スーツを着た外科医がただのシュッとした外科医、というかスタイリッシュに決めた探偵、いつものベネディクト・カンバーバッチ氏で笑ってしまった、最後にキャロルがいて、あの喪服かっこよかったな、そしてニック・フューリーがいて…良かった

ヒーローの死後をじっくりと描いたあたり良かった、そう、この映画は最初から、喪失感の中で人々はどう生きていくかを示してきたんだ、ここに至って作品のテイストが変わらないあたり良かった、どこまでも地続き、英雄が死んでもそれぞれの日常は続いていく、娘モーガンのリクエストはチーズバーガー、涙ぐむハッピー、そりゃ泣く、泣くわ、アイアンマン再見しておいて良かった

ブラックウィドウを惜しむ男たち、死んだ者は生き返らない、ルールの再確認、彼女、家族は? いない、俺たちが家族だった、失って初めて気付く彼女の境遇、俺たちは彼女に同じだけの想いを抱いていたか? 信頼に対して信頼を返してやっていたか? そんなことを意識していてはつくってやれなかった居場所かもしれない、家族のような居心地の良さは自然と生まれるものなのかもしれない、が、もう一言だけ欲しかったな、

なあキャップ、お前、彼女のことどう思ってた? なんて言葉にしなかったのが良かったのかもしれないけれど。

ピーター・パーカー、高校へ、日常へと戻っていく描写、テッドとの再会、良かったね、と思いつつ、5年のズレはどうなってんだとか(監督による解説、テッドやMJは"運良く"一緒に消えてたのね、しかしあの荒廃した世界の中で高校卒業した生き残ったクラスメイトたちのことどう考えればいいんだ)

ソーはおまえ、おまえ大丈夫か、と思ったけれども、クリヘムぢから、あれほんとすごいな…ガモーラのいないGOTG大丈夫なのか、あの船…クリヘムのあの鋭い目つきへの豹変、獣に対する戸惑い畏れに近いものがこみ上げてきて、笑った、大丈夫なのかスターロード、

そしてキャップ、えええまさかと思ったら、えええタイムパラドックス起こしてない? もういいのか(監督による解説読んだ、細かい辻褄はなんでもいいよ、気にならないから)

ヒーローを引退して、ヒーローにならなかった場合の自分の人生を生き直す、そういう選択肢を示してくれたあたり、やっぱり、良かった、どこまでも誠実にあろうとした映画だと感じた

みんな11年続いたシリーズの完結に立ち会えるなんて、って言ってたけど、マーベルを見始めたのって本当にここ数年だからそこまで、でも、ハリポタ完結を見届けたときに同行者と「終わっちゃったね…」「終わっちゃったねえ…」って言い合ったこと一生忘れないと思う、そんな企画があることが嬉しいよな、やっぱり…とか思ってたんだけど、感動ってのは更新されるな。しかし、11年で21作ってマジですげえペース、どうかしてる。

これで終わったとは全然思わなくて、トム・ホランドのスパイダーマン楽しみすぎるし、ブラックパンサーの続編も絶対あるでしょ、楽しみだし、GOTG3も。キャプテン・マーベルも応援したいし、アイアン・ハートが実写化されるときにはキャストがヘイトに晒されない世界だといいなって思ってる。ミス・マーベル、日本語版コミック読んだけど、やっぱり新鮮、実写化されてほしい。そのまえに現実がマシにならなきゃね…何年かかるのか

ブラック・ウィドウにも期待してる。ロシアとの関係をどう描くんだろう、トランプ政権とロシアとの関係が公然の事実になっているアメリカ…『レッドスパロー』の特典映像で、現代は新しい冷戦時代に突入している、と言っていたけど、相も変わらず、米ソもとい米露対立を映画のネタにするの? 焼き直しではダメでは? とも思う。ロシアを裏切ってアメリカについたブラックウィドウの過去の物語になるんだろうか? もうひとひねり欲しいところだけど…女スパイによるハニートラップや紅一点扱いへ自己言及したうえで、乗り越えるような描写に期待したいな。

起きたことを、なかったことにしなかったのが本当に本当に嬉しかった、好みというか、信念に合った。ありがとう。ファーフロムホームが楽しみ、予告編見たけど、ピーター・パーカー、真っすぐ育ってくれよな、戦士になっても兵士になる必要はない、ニック・フューリー、子供をそそのかすなよ、と思う。でも、今後、たとえ作品が共感できない方向性へ向かったとしても、心折れたり腐したりしない、覚悟は決めた。

3000回愛してる、映画史に残る名台詞をうまくつくろうとしているな、という見方をしてしまったんだけど、この言葉を日常的に使えるように、と思ったらなかなか大変だと思う。

エンドロール後のおまけに期待してた、”帰ってくる“の文言に期待してたんだけど、ハンマーの音で終わって、しんみりした。仕方ないね。生きていきましょう。
るる

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