このレビューはネタバレを含みます
こういう低予算で人物も舞台も限定されていて、地味渋な絵がひたすら続くSFに弱い(ダンカン・ジョーンズの2作とか)。
ジェーン・ドゥー=身元不明人は、どの時空にも存在しない、自己完結した閉じた系の人として在るしかない。
ドラえもんに似た話があった。宿題をやっつけるために、未来からのび太が次々やってきて手伝うんだけど、現在から遠くなるほどボロボロの格好で現れる。未来に預けた担保は結局、自分で支払うしかないというオチ。
とても寂しい話だが、鑑賞後の寂寥感はそうでもなく。ジョディ・フォスターにしか見えないサラ・スヌーク(意識してるでしょう)、リチャード・リンクレイターのビフォア・シリーズが印象に残るイーサン・ホーク、2人の芝居が達者だし、ストーリーもキレイにストンと腑に落ちるので。
スペースコープ社の下り、宇宙事業が現実化したパラレルワールドの1960年代かと思ったらハズレ、笑。ピエール・カルダンを思わせるスペースエイジなルックに身を包んだ女性たちが慰安婦になるために訓練するというシニカルな絵は、おそらく、原作者のハインラインの意図を忠実に解釈してるのだろう(原作は1958年に書かれている)。
バーの対話と回想シーンだけで前半50分を持たせる演出、「バタフライ・エフェクト」や「イグジステンズ」みたいに、何度もリセットしてやり直しする内に結末がどうでもよくなってしまうという欠点を克服した脚本、よく練られている。ネタは途中で割れて予想通りに終わるので、もう少しツイストがあってもよかったなと。
タイム・パラドクス問題の、全部つながるしループしてるけど起点はどこなんだよ?という疑問は考えてもわやくちゃになるだけ。時空警察も個々のエージェントやボマー=爆弾犯も相互補完的な存在で、絡んだ因果の糸は解けない。
過去の現実に干渉しないために、自分に干渉し続ける、というのは究極のデタッチメントで、そりゃ気が狂うしかないよなー、と思います。