せーや

スポットライト 世紀のスクープのせーやのレビュー・感想・評価

4.0
「ジャーナリズムの真髄」

2001年、新たに編集長を迎え入れた
ボストンの日刊紙「グローブ」の「スポットライト」チームは
カトリック聖職者による児童虐待事件を調査することになる。

「聖職者の性的虐待」を世界中に知らしめるきっかけとなった
2002年のボストン・グローブ紙による記事が発行されるまでを描いた実話。

アカデミー作品賞を受賞した本作。
非常に地味な作品ながら、見る者を食いつかせる作品です。

グローブ紙でも屈指の精鋭が集うスポットライトは
カトリック聖職者の性的虐待事件を記事にすることに。
しかし一連の事件は教会によって闇に葬られ
事件を調査することは非常に危険を伴うものだった。

もはやインテリヤクザでしかない教会を目の当たりにされる。

信仰を食い物にする卑劣極まりないやり口。
世間ではカルト宗教や一部の原理主義的宗教に批判が集まりますが
こういった力を持った宗教が裏で何をやっているかわからない。
その歴史と名声によって権力を得た宗教こそ
もしかしたら一番、注意すべき存在なのではないか。

日本ではそれほど感じることはできませんが
アメリカでは非常に宗教の力が強い。
ボストンはその縮図のような街で
カトリック教区が絶大な力を持っており
彼らは自分たちが街を作ったのだと自負している。

性的虐待を受けたのは、貧乏な家庭に生まれた子供、
もしくは何かしらのコンプレックスを抱えて生きる子供。
「はじめて、僕を認めてくれたんだ。それも神父様に」
被害者の証言は、彼らがどれだけ神父に心を寄せていたかがわかる。
そして神父が、その権威をどれだけ悪用していたかが。

こういった性犯罪の餌食になった被害者は
その恐怖と羞恥心から証言を断ることが多いという。

スポットライトの記者4人は性犯罪の闇を知り
やがてその闇の大きさを知ることになる。

調査を進めていくうちに
スポットライトの記者サーシャはかつて性的虐待をした神父に接触する。
性的虐待を当たり前のように語る神父は恐ろしく冷静で
もはや聖職者などではなく、ただの性犯罪者だった。

なぜこれほどの事件が明るみに出なかったのか。

教会側の隠蔽工作もあるけれど
記者の無関心にも原因があった。
ジャーナリズムとはなんだろう。
事件の悲惨さを訴えかける一方で
ジャーナリズムの本質にも近づいていく。

マーク・ラファロ演じるレゼンデスの怒りもわかる。
彼は正義感に溢れ、感情的な記者だ。
ジャーナリストには、物事を客観視できることが必要だけど
こういう、主観的な記者もいてはいいのではないか。
もちろん、良い意味でのね。

また、ボストンという街の闇にも触れていく。
街で生まれた者は歓迎され、よそ者は疎まれる。
カトリックに守られた街の危うさを描いている。

それにしても、スポットライトチームの調査能力は
警察も顔負けなほど迅速で、そして質が高い。

芸能ばっかり追いかけているリポーターもいいけど
スポットライトのような記事を書くチームが
絶対に必要だと思うのよね。もっとたくさん。
東スポもこういうのやればいいのに。

カトリック教会の大きな闇を描いた作品でありながら
それを追う記者とジャーナリズムに焦点を置いている。

レイチェル・マクアダムスも地味な(ダサい)格好で
画的にはあまり映えない作品ではありますが
セリフとストーリーはとても重厚な作品です。
せーや

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