とうじ

キラー・オブ・シープのとうじのレビュー・感想・評価

キラー・オブ・シープ(1978年製作の映画)
4.0
モスデフがthe ecstatic (まじで名盤)のアルバムカバーに本作のスチールを使ったのは有名だが、まさにその黒人の子供たちが屋根と屋根の間をぴょんぴょん飛んで遊んでる場面が、まんまMid90sでパクられてた。

本作はアメリカのゲットーで生活する人々の日常のさまざまな断片を、ブラックミュージックと共に見せていく映画なのだが、本作の、明らかに曲の権利料を払えていなさそうな荒々しく素人っぽい質感の映像の上に、メジャーな名曲が惜しげもなく爆音でかかることで生まれる奇妙な魅力というのは、もうこの時代では絶対に再現できないであろうということも含めて、すごくいいものを見た気持ちにさせてくれる(実際権利関係で長年お蔵入りして大変だったらしいが)。

あと、子供達が雪合戦のテンションで石を投げ合ってるのがやばすぎる。

本作の質感は、イタリアのネオリアリズモ作品を見たことがない時に、それはこういうものなのだろうな、と想像していたものに近い。喜劇性や悲劇性よりも、日常に寄り添うことを重視し、ドラマチックなセリフよりも、おっちゃんらのツッコミとかしょうもない言い合いとかお母さんの怒り声とかに耳を傾ける。
夫が娘と遊んでいるのを見守りながら、涙を流す妻のクロースアップは、その前後にその涙の説明がセリフにおいても、映像でもなされないことが合間って、ものすごく力強いショットとなっている。その情感は、アフターサンが90分かけて成し遂げていたことをほんの6秒くらいでやってしまっている、と言えば少しは伝わるだろうか。

差別に怒り狂ったり、貧困の衝撃的な現実を見せびらかしたり、世知辛さに耽溺して痛烈な社会批判をするような映画を期待して本作をみると、その気の抜けたような、血圧の低さに拍子抜けするかもしれない。でもやはり、いくら治安の悪いゲットーであっても、当事者からしたら普通の生活の一部なのであり、その境界線の外にカメラを置くようなことをしないのは、まさに正当なドラマ作品の流儀に則っていると思う。
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