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スリー・モンキーズのtransfilmのネタバレレビュー・内容・結末

スリー・モンキーズ(2008年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品。先日の「昔々、アナトリアで」に引き続きの鑑賞です。

ほとんど静止画の映画なんですけど、全てのシーンにこだわりを感じるくらい、映像はよかったです。映像の表現力がすごいと思う。

映画の内容は、「昔々、アナトリアで」とある意味同じで、
観る側はこの映画の各シーンの意味を自分自身で解釈しながら観ないと、何が言いたい映画だったのかわかりづらいと思う。この映画自らが主題をはっきりと提示することはしてない作品だと思う。
僕自身がこの映画をジャンル分けするなら、この映画は「ドラマ」です。

以下、自分自身の解釈です。

●家族について
父親の仕事はある政治家の運転手。
母親もよくわからなかったけど、働いてるようです。
息子は大学受験に失敗した浪人生。
ある政治家が選挙前に交通事故を起こし、父親がその罪を被ったことから、この家族の負の連鎖が始まりました。

●母親の行動について
観終わった後、夫が刑務所に入る前から、おそらく夫との関係は事実上破たんしてたんじゃないかな。と思う。
そう思う理由としては、ある政治家のやさしい言葉は自分自身に対する愛情から生まれたものと勘違いして、おそらくこの母親のほうから積極的に政治家へアプローチしていって、不倫したと思われるから。元々夫との関係に問題なければそうはならないと思う。
ちなみに、ある政治家がこの母親にかけた言葉は、何か下心があったわけではなく、夫に対する罪悪感か義理かによって生まれた言葉だと思う。

●息子について
この息子は、父親が刑務所に入る前から、
たぶん自分自身の人生と世の中に不満をもっていて、
多少自暴自棄になってたように思う。

●死んだ弟の姿が観える意味
個人的には、「息子と父に死んだ弟が観えた意味はなんだったのか」
を考えることが、この映画で一番重要なことでもあると感じます。
一度目は息子が死んだ弟の姿を目撃する。
二度目は父が。
ただ、この二人の目撃の仕方はそれぞれ違ってて、
息子ははっきりと弟の顔まで目撃したのに対し、
父親は、言うなれば「存在を感じ取った」程度でした。
その後のこの二人の行動は共通してるものがあると思う。
息子はある政治家を殺害し、
父は妻が自殺するのを見殺しにしようとした。
ただ、父親のほうは踏みとどまりました。

「死者の姿を見る」って、どういう意味があるんでしょうか?
ひょっとしたら、トルコならではの習わしや宗教観の中に答えがあるかもしれないです。
けど、そういった宗教観を抜きにして
想像で考えたとしても、
「死者を身近に感じる」ということは、生に対する執着心が薄らいでいる・・そんな心境なんじゃないかなと思う。

●ラストシーンの解釈
この父親は、曲がりなりにも家族を救いました。ぎりぎりのところで母親を許し、ある政治家と全く同じ手口で息子を救いました。
ただ、この息子は人を殺してしまったという事実は拭えないし、なによりある政治家と同じ手口を使って、金では済まされない大きな借りを一人の男に作ってしまったと思う。

最初は晴れそうだった天気が、一転豪雨に代わるラストシーンは、この家族の行く先を暗示しているようにも思えるし、
この父親はちゃんと状況を理解していて、その心境とリンクしているようにも思えました。
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