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ここに泉ありのodyssのレビュー・感想・評価

ここに泉あり(1955年製作の映画)
4.0
【貧しい時代のクラシック音楽】

日本人にとってクラシック音楽とは何か、改めて考えさせられる映画です。

高崎市を本拠地とする群馬交響楽団は、日本にあって東京圏と関西圏を別にすれば最も早く創設されたプロのクラシック・オーケストラ(プロオケ)として有名です。しかし地方の、人口も程々の都市でプロオケを維持するのは大変なことでした。この映画を見ると、戦後すぐの混乱期に始まって、食い物もない、給料もろくに払えない、楽器がない、団員の技術素水準がばらばら、少しいいプレイヤーは都会に引き抜かれる・・・などなどの問題が次々と襲いかかり、いったんは解散が決まるところまで行ってしまいます。

そうした中、少ない団員が群馬県内の僻地を回って音楽を児童に聴かせるシーンが印象に残ります。戦後まもない当時、今と違って道路は整備されておらず、僻地の小学校に行くには歩きずくめか、良くても舗装されていない悪路をトラックの荷台に乗っていく程度です。天井のない荷台ですから、途中で雨に降られればゴザをかぶってしのぐしかない。

そのように苦労をして僻地の学校で演奏したあと、ここの子供たちはこの後一生クラシックの生演奏を聴かずに終わるだろうと、帰路の団員たちが話し合うシーンがあるのですが、実際にはその後の高度成長によって僻地の子供たちの少なからぬ部分は首都圏などに出ていくことになったでしょう(都会でクラシックを聴いたかどうかは分かりませんが)。しかし、戦後間もない頃までの日本では、僻地の児童は自分の生まれた村からほとんど外に出ずに一生を終わるケースが多かったことを、われわれは知っておかねばなりません。

ちなみに、僻地の学校の講堂で演奏に聴き入る子供たちの表情や顔つきが、今からすると時代の差を感じさせます。原日本人というか、昔の田舎の子供ってこういう顔つきだったよなあ、としみじみ思い出すのです。

いったい音楽をやるということはどういうことなのか。それも、西洋伝来で日本人が自分で作り出したわけではないクラシックをやるということはどういうことなのか、考えないわけには行きません。と同時に、生活の糧もろくにない時代に、それも条件に恵まれない地方都市で、必死にクラシック音楽をやった日本人が実際にいたのだという事実はきわめて重いと思います。現代のように豊かになった日本で小さいときからいい先生につき、才能があると認められれば海外留学したり国際音楽コンクールに出たりといった若人が珍しくない時代とは、何か根本的な異なった音楽と日本人との結びつきがそこにはあるのです。

結局、県から補助金がもらえることになり何とか存続、ということになるのですが、今どきの日本なら「仕分け」で補助金カットがなされていたかも知れません。戦後10年たたない貧しかった日本で地方都市のプロオケに税金を出すということがどれほどの勇断だったか、また働きかけたオーケストラ関係者の熱意がどれほど強かったか、多分今では想像もできないでしょう。

なお、当時日本音楽界の大御所だった山田耕筰と、ピアニストの室井摩耶子が特別出演しています。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番(山田、室井)、グリーグのピアノ協奏曲、ベートーヴェンの第九交響曲(山田)などが演奏され、この三曲は比較的長めの演奏シーンで味わうことができます。
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