ぴんじょん

山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日のぴんじょんのレビュー・感想・評価

5.0
満蒙開拓団というものを知ってほしい。

僕が満蒙開拓団に関心を持っているのは、幼いころによく遊びに行った親戚の家の近くに満蒙開拓団の慰霊碑があったということもあります。
沢山の犠牲者の名前の刻まれた慰霊碑の周りで遊び、いったいこの碑は何を物語っているのだろうと思ったものです。

長じて、あるきっかけから、帰国した残留孤児二世の皆さんのお話を聞く機会を持ちました。
「中国にいる時は日本鬼子(リーベングイズ)と呼ばれ、日本に帰ってきてからは、中国に帰れと言われる。私たちはどうしたらいいのか。」
悲痛な叫びは今も忘れられません。


この映画は、長野県阿智村の小学校教員であった山本慈照氏が、満州開拓団の苦しみの後に、中国残留孤児の帰国に尽くす姿を描いています。
物語は山本氏が請われて満州に赴任するところから始まります。
しかも、その赴任は何と1945年5月。
既に敗戦色の濃いこの時期に、あえて移民団を送り出す。
これが、国民をだます仕打ちと言わずしてなんというべきでしょうか。
以前に見た『嗚呼、満蒙開拓団』というドキュメンタリー映画によれば、なんと、この年の7月にまで開拓団を送り出していたというのですから、狂気の沙汰、まさに棄民です。

満蒙開拓団として移民させられた人の多くは、国内での生活が苦しい、現在でいえばいわゆる貧困層でしょう。
貧困層を犠牲にして戦争を推し進めるという考え方は、これから進められるかもしれない「経済的徴兵制」にもつながる考え方です。

移民団を守るものだと思っていた関東軍が移民団を置き去りにして撤退したことも、「軍隊」というものがいかに「国民を守ることなどしない」ものかということを物語っています。
彼らが守っていたのは、「体制」であり、「経済的優位者」でしかなかったのです。(個々の兵隊のことを言っているのではなく、軍隊という体制のことを言っています。)

満蒙開拓団の悲劇は、多くの犠牲者を出していながら、東京大空襲や広島・長崎の原爆のように多く語られるということがありません。
もしかしたら、満蒙開拓団というものを知らない人もいるかもしれません。

それは、満蒙開拓団が戦争の被害者であるとともに、加害者の側面も持っているからだと言われています。
被害者としてその責任を見つめることは、精神的にもとても苦しいものです。
そのせいでしょうか、昨今は「複雑な要因がある」「客観的に見る必要がある」などという、一見正統にも思える言葉で、責任逃れをしようとする姿勢が見受けられます。

山本氏は、僥倖を得て帰国できますが、多くの同胞を満州で失ったことから、日中友好に力を注ぎ、その過程で残留孤児の存在を知り、その帰国に奔走することになります。
ここの経緯が丁寧に描かれているため、残留孤児帰国のための運動に説得力を感じさせる物語となっています。

いささか余談じみますが、ここでも、戦後の日本政府がいかに中国残留孤児に冷たかったが描かれています。
実は、この姿勢は現在でも大きく変わっていないと思います。

さて、この映画の中では、主人公山本慈照氏をして、「だます国も悪いが、だまされた我々も悪い」と言わせ、冒頭「国が総力を挙げて国民をだまそうとするとき、それを見抜くのは容易なことではない。」とテロップが流れます。


大手の制作会社が大金をかけて作ったものではありませんから、迫力のある戦闘シーンや、鬼気迫る映像はありません。

エキストラの子どもたちの演技のつたなさも気になるかもしれません。

しかし、戦後80年、いまだに戦争責任をあいまいにすることばかりに腐心する「国」を戴いている僕たちにとっては、見る価値のある映画と言えるのではないでしょうか。

2015/11/3 10:18
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