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あんの3110133のレビュー・感想・評価

あん(2015年製作の映画)
3.7
全生園を覆う木々の言葉

邦画に限らないが、ヒューマンドラマものによく見られる、鑑賞者に泣くことを強要してきたり、感情表現を履き違えた過剰演技が生理的に苦手で、かなり警戒しながら観た。
まあ御涙頂戴な演出はご愛嬌として、ドロップアウトせずに最後まで観ることができたのは、監督の演技演出の妙と樹木希林の上手さによるだろう。
(永瀬正敏演じる千太郎が唯一叫ぶのがラストの「どら焼きいかがですか」は良かった。)

作品の中心テーマであると思われる、「夢の実現」に(病や罪や家庭環境やそれにつきまとう社会的差別といった)障がいを持つ人々が、その実現から逃げるのでもなく、だけれども、それだけではない生の尊さのようなものを丁寧に描き出す様は、道徳的善を超えて、わたしたちに迫ってくるように思う。

社会が活気に溢れ、みんな一緒に前進すること、「夢を実現すること」が善であり、かつそれが実現可能なときには、周縁に吹き飛ばされてしまうようなそれが叶わない人々の存在を、弱者や不適合者や可哀想な人などと思ってはならないだろう。
「夢の実現」が目的ではなく手段であると気がついた時に、ではその目的、生きることの意味とはなにかという、存在の根源に目を向けざるを得なくなる。それが、この映画で言われるところの「あずきの言葉を聞くこと」「この世の言葉を聞くこと」なのだとしたとき、その手段が「夢の実現」だけではないことに気がつくだろう。(手段が目的化した人の方がカワイソウ。)
実際、全生園に隔離された人々のなかには、優れた詩を残した人も少なくない。例え詩を残さなかったとしても、「この世の言葉」を聞くことはできただろう。
(「この世の言葉」はベンヤミンの言語論と同じことを言おうとしているだろう。その言葉を聞くこと、それに「名」を付け、「神」に届けようとする行為こそが芸術であり、わたしたちの生の意味でもあるのだろう。)

それでも、ひとつの手段でしかないはずの「夢の実現」に、緩やかに手を伸ばそうとする、樹木希林演じる徳江さんの心持ちを想像したとき、胸が張り裂けそうになる。
社会的存在としての人間の、解消することのできないなにか。それは隔離されていたとしても「この世の言葉」が聞けたのだからいいじゃないかなどといって、片付けることのできないものなのだ。
わたしたちは病やそれに対する恐怖心から、犯してはいけない罪を犯してきたのだ。そしていま現在もその罪を犯しつづけている。

わたしが小さい頃にはまだ、この映画の舞台ともなった東村山市中でハンセン病の方をみることもあったし、小学校の道徳の時間にお話に来てくれたりもした。授業の最後に握手をしたのだが、頭では分かっていても、鳥肌が立ち、体が硬直して動けなくなってしまったことは、わたしの内にも悪があることを痛感させられた。
いま全生園に暮らす人々も高齢化し、療養所としての役割も終えようとしているそうである。それでも風化させてはならないものがあるはずで、さまざまな形で取り組みがなされてもいるようである。大切なのはわたしたち一人ひとりが忘れずにいようとすること。全生園を覆う木々の言葉に耳を傾けること。

劇中で試作されていた塩ドラをきっかけとして、清水屋さんで「東村山塩どら」が売られている。塩漬けされた桜が添えられたどら焼きで、あんこも甘すぎずおいしいよ。
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