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シン・ゴジラのharunomaのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
3.0
2022年以降に再見すると、
局所的なクソみたいな組織の權力志向が鼻につき、面白さを感じない。2013-2017年までおそらく、日本映画は長谷川博己がいなければ成り立たない、あるいはドラマなら堺雅人か。だったが、果たして50代を前にしたこの二人は、役所広司にはなり得ない現実をシネマが告げているようにも見える。身体の才能が映画ではないというのは、分かりやすく残酷な事実であるだろう。

官僚機構と会議と科学者、技術者だけが存在している。
主権者の国民、市民といいつつ、まったく国民は映されないというのが、圧倒的な戦略なのだろうが、皮肉にもこの国では事実なのだろう、プロデューサーからの助言(感動のサイドストーリーを盛り込め)を無視して。それはいいだろう、だが、完全に不思議なのは長谷川博己の家族はどこにいるのか?
あるいは登場人物たちの。誰一人としてこの災厄の渦中で、自分の家族を心配する者もいないし、実際誰も出てこない。長谷川博己は天涯孤独の人間なのだろう。家族は闘わない。家族はいない。それがエヴァンゲリオンの監督の実写映像だ。


2017年3月22日
『シン・ゴジラ』

シン・ゴジラ今itunesで見始めています。素晴らしい、メタメタにおもしろい。会議はほんとんど演劇(映画においては台詞も俳優が考えていることも全ては嘘かもしれない、しかし俳優がその瞬間台詞を喋ったということは事実であり、それを記録することができるというオリヴェイラ的認識)、あのソーシャル・ネットワークばりの長ゼリフ早口、役者の顔もメタ含めていい。冒頭15分音楽なし、そうこれは海猿ではないのだ。

海蔵寺のやぐらの赤い鳥居、にぶい光の中、を見てからというもの、庵野への同情を少なからず再確認したのかも知れない。彼はどうにか頑張っている、赤いものを流しながら。映画館でみるべきだった。彼を無下だと反故にすることはできないのかもしれない。何と言っても新世紀の福音(良き知らせ・メッセージ)と見栄を張って世紀末を生きた男/女なのだから、同情はするべきなのだ。マレーシアの楽園でジュースを飲みながら。ダンスをしながら、同情は。
シン・ゴジラ 素晴らしい、感動した。東宝も日本もアメリカもフランスもどこもかしこも負け戦の企画にも関わらず、庵野は何かに勝利している。古代の遺跡か負の遺産の石棺のようにいつまでも皇居前で口を開けて固まっている怪獣?が、とりあえずは見えるものとしてい続けることに。

imax センターモノラルも頷ける。
総監督・脚本・編集:庵野秀明と書かれると、最後の基地で鼓舞する挨拶の時の長谷川博己のボサボサヘア、冷却成功しても誰もヤッタ!とは言わない何か。東京しか映らないのに東京は映っていない潔さ。多摩川、大田区浅間神社本部や丸子橋、武蔵小杉、品川のJR無人カミカゼ、品川の高層ビル群ドミノ、口から冷却、東京駅、視線の先の皇居。そうまず蒲田がやられるのだ、そして再度は我らが稲村ヶ崎海岸。誰もがいつもメッセージを受け取るごとく、その肌感覚の場所に庵野定やられてしまった。
エヴァンゲリオンを見直す気持ちが出てきました。石原さとみもまだまだいける。
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