くるみ

シン・ゴジラのくるみのネタバレレビュー・内容・結末

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

初日にIMAXで鑑賞。始まって5分で手汗をかきはじめ全身で発汗して、エンディングまでひかなかったです。大量の情報と完璧な構図や映像によって得られた「やばい」「面白い」「エヴァで見た」「好き」「でも怖い」「辛い」という自分の感情にぐわんぐわん殴られ続けてました。
ショックの成分の何割かは、リアリティでした。ゴジラが東日本大震災と原発事故を模していることが大きかった。自分は関西人ですけど、知ってる場所が危機に晒されていること、破壊されること、明日から同じ生活ができなくなることへの恐怖がずっと全身を覆っていました。映画を見た次の日は、新聞を読みながら「この世界にはゴジラが来なくて良かった」と思った。作り手の意図にまるまる嵌まったような鑑賞体験でした。

さて、本作はあからさまに日本国家を描いた話であり、この感想も日本という国の有り様について書いています。従って政治的な読み方も可能だとは思うのですが、ほんっとうにこの話題はふれにくい。
自分自身についてはもとより、友人や家族や職場でも好きな部分と嫌いな部分があるのは普通なのに、好き嫌いの対象が国家となるとすぐに右や左といったレッテルが出てくるから。
本作も「9条改正のプロバガンダ映画だ」というレビューを読みました。個人的には武器使用に至る描写はリアリティの一環だと感じましたが、政治的に見られることも織り込み済みなんでしょうね。タブーと知りながら踏みこんだ庵野監督はすごいです。

作中の日本描写も、基本的にリアリティに根ざしています。前半は日本の嫌な部分、欠点が出ており、後半は誇りたいところ、長所が出てきます。ストーリー上のカタルシスを生み出すためには当然なのですが、私にとっては後半の長所の取り扱いがやや難しかった。ご都合主義に感じる瞬間もありました。
というのは、邦画というか日本文化にありがちな「みんなが頑張ってなんとかしました」という解決法になっているからです。登場人物たちがヤシオリ作戦に向けて全力を尽くしているところなんか「美しい日本」「絆」「勤勉な国民性」などのパワーワードが背景にがんがん浮かんでいた。本来は忌避する言葉でもないのに、ここ数年使われすぎてて食傷してしまったアレです(同じ描写がハリウッド作品で出てたら浮かばなかったと思うので、舞台が自国であるだけで大きな認知の差が出てます)。
そこに日本の欠点が生み出したゴジラという怪物が降り立つ。
途中まで「あ、これ滅びるかもしれないね、庵野監督だしね」て思いました。それくらい日本の膿を感じました。

でも、滅びなかった。安心しました。
日本の欠点を嫌うことと、滅びてほしいことはまったく別でした。

そしてこの解決方法も、ご都合主義って書きましたけど、ぎりぎり有りだという結論に至りました。
ひとつめは、政府首脳が亡くなったことです。「国民を見捨てた首脳が罰を受けた」とも見える亡くなり方なので、膿が出たと判断しました。赤坂の「スクラップ&ビルド」や米国大使の「危機はこの国すらも成長させる」といった台詞からも、ここまで壊さないと日本は良くならないという感覚は作中で共有されている。
ふたつめは、ゴジラの倒し方です。米国などの滅ぼす方法ではなく、荒ぶる神を鎮めるという日本的な解決法が用いられたからです。自分のケツの拭き方は自分で決めると言ってもいい。
みっつめは、矢口たち主人公が庶民に寄り添わなかったことです。レビューでは、一般人の痛みをあまり描いていないという指摘がいくつも出ていますが、この描写は意図的に見えます。矢口にしても赤坂にしても、最初から最後まで為政者側である。巨災対のメンバーも「出世とは無縁のはぐれもの」と呼ばれてましたけど、実際はほぼキャリア官僚で一般国民と同じ目線には立てない。無理やり職員の家族の話とか出して「みんな同じ人間なんだ」にするより「自分たちが国を導くんだ」という線で突っ切った。そのいびつさが良かったです。
(まあ家族の話とか出さなかったのは、庵野監督は平穏な人間関係や日常描写が下手だからでは?という推測もあるんですが……あの、ワイシャツの匂いのシーンひどかったです…アニメなら和めただろうけど、実写でやるとつらすぎた…)

どちらにしても私にとっては、日本的な怪物、日本的な悲劇、日本的な解決方法と日本が満載な映画に見えました。海外評価がめちゃめちゃ気になるから、早く欧米で公開して欲しいです。「世界よ、これが日本だ」的なパワーワードなしに。

2016/07/29、07/30、08/01、08/06
くるみ

くるみ