尿道流れ者

皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇の尿道流れ者のレビュー・感想・評価

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戦争や暴力、性などもファッションになり文化となる。しかし、そこに行き着くまでには距離の隔たりが必要だ。それは単に時間によるものでもあるし、価値観の変化や手法により別の観点で捉えられたりすることによる。非現実なものとしての認知やそれを扱うことが非道徳ではないという認知がある点で築かれてなければそれは成立しない。
しかし、現在目下麻薬戦争中のメキシコではナルココリードという音楽によって、その悲劇が直接、リアルタイムで文化として発信され、現地の女子高生もマフィアって超いけてる♥️とメロメロになっちゃう始末。そこにある悲劇が自分とは無関係であるような振る舞い。時折見せる、その無関心さが非常に怖い。
この映画では麻薬カルテルの真相に迫るものではない。そこにたかる蝿どもを映しただけのもの。アンタッチャブルな存在であるカルテルへ近づくことすらできないこの映画に、そこにある問題や解決への希望を映すことはできない。しかし、別の形でそこにある危機や恐怖を映している。ギャング映画としての面白さを求めて、映画館に足を運んだ人には確実に物足りない内容で、僕も若干のつまらなさを感じながら観ていた。しかし、そんな自分の俗悪な好奇心とこの映画で移される蝿どもが徐々にリンクしていき、この問題を虚数のようなものとしてしか認識していない自分の愚かさが辛くなる。そこに感じる空虚さは、単なる希望の欠落だけではなく、気づくことなく背後に迫っていた大波のようなどうしようもない危機感のなさが表れた大きすぎる無力感がある。もうどうすることもできないとしか思えない。サブタイトルにある光はただ飲み込まれるしかないものとしてこの映画に存在する。

メキシコという一つの国と一つの文化を飲み込む虚数はもはやマイナスになっている。遠く離れた地で観ているだけの僕には、さらなるマイナスである暴力がかけられることでしかプラスに傾かないように思う。一つ一つの積み重ねではこのマイナスはプラスにはいかない。そんな気がする。