橋口亮輔監督は、いつもこちらの胸の奥をえぐり出して、大切なものを再認識させてくれたり、深い感情をゆさぶってくれる。
いまの日本の映画システムでは稀有日本の近い存在であり、ずっと追いかけてしまう映画監督。
そんな彼が7年ぶりに作った作品。前のめりになると同時に、身構えてもしまっていた。揺すぶられてもいいように、なるべく体調や気持ちをフラットにして。。大きな仕事がようやくひと段落したタイミングで観られたのも、有難かった。
そして観た。
結果。
ものすごく心を揺さぶられ、えぐられた。
とても、個人的な体験として、個人的な、「自分の映画」だった。
主要登場人物の3人は、三者三様の人生とキャラクター。彼らの物語がどのくらい混じり、どれくらい独立しているかは実際に観てもらうとして。
誰に感情移入するかは人それぞれだと思うが、自分は当初は誰にも感情移入できなかった。
監督があえて、そのように作っていたのだけれど、それぞれが「膜」を張っているように感じた。
アツシは苛立ちと小さな怒りで、
瞳子は中年にさしかかった脂肪と生活の疲れで、
四ノ宮はプライドで、
他者とハラを割って交わろうとしない。
それはまさに、日常の僕らの一面そのものだ。
そんな彼らが、物語が進むにつれ変化していく。
アツシの不器用さ、瞳子の少女のような内面と可愛らしさと性の匂い、四ノ宮の臆病さが白日の元に晒され、
それぞれの狡さやひとりよがりさえ、明らかになり、
周囲の人間たちの、どうしょうもなさや、くだらなささえ見えてくる。
そして、それぞれの「膜」が取り払われたあとに見えてくるのは、「痛み」だ。
アツシと瞳子と四ノ宮がどのように傷つき、痛みを得たか、この映画から全て汲み取れるわけじゃない。
でも、それは、僕らが他人と効率する中で、その人の全てを知れるわけじゃないことも描いているように思えてならない。
僕らは他人の全てを知れないし、他人も僕らのことを全て理解してくれるわけじゃない。
無責任だったり、愚かしい姿や行動をとることだっていっぱいある。
この作品の凄いのは、その愚かしい姿や行動を、つき離さず、ある諦めと、そして、暖かさをもって描いているところだ。
そして周りも主人公も無責任で、愚かしい中で、アツシの先輩社員の黒田の佇まいと朴訥とした言葉の良さといったら。。
人生も映画も、捨てたもんじゃない、と思わせてくれるじゃないか。
3人が結果として自分に向き合うシーン。
四ノ宮の抑制の効いた叫びのような電話は実に彼らしいし、
瞳子の独白のただならぬ真実みは、語っている内容より、彼女のは有り様そのものの芝居を見せたかったんだろうと推察できる。
でもあのアツシのあれには参った。。。
自分にいろいろなものが襲ってきて号泣した。
橋口監督の作品のすごいのは、コミカルな演出が毎回あって、単に重くするわけじゃない。
その軽みのバランスが自分の肌に合ってる。
そしてあの青空と、部屋に差し込む日差し。
彼の、絶望の中から見出すような「救い」が、実に、実に、心に沁みた。
日光が差し込む部屋だけの演出でこれだけ心に深い感慨をくれたのはイ・チャンドンの『オアシス』以来だ。
(自分の中で橋口亮輔監督とイ・チャンドン監督はどちらも変わらないくらい大切な映画監督だ。。)
あとは実際に劇場に行って観てほしい。
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パリのテロがあった日に、この映画を見たことはとても意味があると思います。
全ての犠牲者に心からの哀悼の気持ちを捧げます。