arin

仁義なき戦いのarinのレビュー・感想・評価

仁義なき戦い(1973年製作の映画)
5.0
映画で学ぶ現代ヤクザのいろは

「仁義なき戦い」といえば、ヤクザ映画の代名詞であり、「チャララ―♪」のテーマソングはバラエティー番組などで多用されているので、日本人なら誰も知っていると言っても言い過ぎではないだろう。

国内に留まらず、タランティーノを始めとする映画人が本シリーズにラブコールを送っているのも有名な話だ。

とはいえ、映画ファン以外であればあまり見る機会もないだろう。テレビ放映とかあんまりやらないし。

かくいう私も、今回見るのが初めて。「アウトレイジ」からヤクザ映画に興味を持ったので、ゾンプラにあった一作目を見ることにしたのだ。興味深く拝見した。

物語は太平洋戦争の傷跡も癒えない、混沌極まる戦後の闇市から始まる。
私闘や暴力は当たり前、死体を拾うものはいない。米軍は幅を効かせ、警察は守ってはくれない。そんな世界でどう生き延びればよいのか。

無秩序の世界に秩序を作ろうとするのは人間の営為であるが、ヤクザもまたこうして誕生する。
義理人情で結ばれたヤクザの世界の誕生である。

本作に登場する「山守組」の誕生には、(今で言う)建設会社が母体になっていた。
なるほど、ヤクザの名称と建設会社の名称が「~組」「~会」で同じなのはそういう理由があるのだな、と妙に納得する。
また、ヤクザが会社の重役の席に居座ったり、政治家と関係を強めたりと現実の社会にコミットしてくるのも、もともと親分にあたるひとが建設会社の社長であるなどすでにして事業家だからなのかなと。

義理人情で結ばれた関係は、誕生の初期においてすでにほころびを見せる。裏切り、不義理、まさしく仁義なき戦いだ。
自己利益増大のため、欲得のため、正義は常に犠牲になる。
菅原文太演じる、主人公の「広能昌三」はそんな世界で苦悩する一人である。

広能に共感しつつも、道理だけじゃ食っていけないという親分や坂井にも共感できるところがある。
複雑極まる社会では、ヒトは複雑にならざるを得ないのである。
それでも、混乱の中で義理人情を通すこと、その潔さにどうしても魅力を感じずにはいられない。
arin

arin