SatoshiFujiwara

ナタリー・グランジェ(女の館)のSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

4.5
恐らくプリントの状態はあまり芳しくなかろうと想像していてまさにその通りだったので苦笑するしかなかったが(字幕も半ば薄く飛んでいていてえらく読みにくい…)、にも関わらずデュラスは何と魔術的な時空間を現出させるのか…と感嘆するしかない傑作。しかし、ことさら詩的に神秘めかすでもなくある意味で散文的なショットの連鎖からこのような作品が生まれている訳で、この辺り、まさにデュラスの面目躍如。この人の監督作品は他に『インディア・ソング』と『アガタ』のみ観ているが、いずれも素晴らしい。デュラスにしか撮りえない唯一無二の作品。

本作では何か大ごとが起こるでもない、と言うよりも何も起きない。断続的かつ不定期に間を空けて打ち鳴らされる緩慢かつたどたどしい単音のピアノの音階からして幻惑的で、時間は緩慢に引き伸ばされる(ところで本作におけるピアノ教師とその生徒という図式は同じデュラス原作の『モデラート・カンタービレ』と同じ。ピーター・ブルックが監督した同作の映画化作品『雨のしのび逢い』は傑作だ。トニー・リチャードソンの『マドモワゼル』も脚本がデュラスで、この2作いずれも主演はジャンヌ・モロー)、ほとんど喋りすらせず終始打ち沈んだ様子のジャンヌ・モローの演技を超えた演技(屋敷に闖入して来たドパルデュー演じるいささか喜劇役者めいた洗濯機のセールスマンの話をソファに座って聞いているルチア・ボゼー、わけてもジャンヌ・モローの無言の仏頂面! このシーンだけでも観る価値がある)、現れる猫に殺人事件を知らせるラジオの音、煙草の煙。屋敷の部屋から窓を介してそれとなく画面に飛び込んで来る道端を行き交う人。画面の奥ー遠くには今しも消えて行こうとする誰とも知れぬ黒い装束を来た人物。何も起きないようで密やかに生起する内⇔外のインタラクティヴな純粋運動。

それにしてもデュラス監督作品は全て観たいものだ。特に『破壊しに、と彼女は言う』。昔はまとめてたまにやっていたが最近はないねえ。
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