ロッキーシリーズのスピンオフ作品で、
シリーズ第一作からロッキーの宿敵であり最高の友人であったアポロ・クリードの愛人の子供である、アドニス・ジョンソン(クリード)が主人公となる。
批評家たちからは高評価を受けて、
ロッキーファンからも高い支持を受ける本作。
確かに悪い映画ではないが・・・・
いろいろと考えて作られているのはわかります。
いままでのロッキーファンの期待を裏切らないストーリー。
どの視聴世帯にも通じる人情噺。
本物のボクサーまで登場する迫力のファイトシーン。
どれをとっても及第点です。
40年もたって、
ロッキーがかつての老トレーナーミッキーの役回りを演じるのも感慨深いし、チラチラ登場する過去作の主要人物の影や名所も自然に見せてくれてありがたい。
設定もうまいですね。
まさかアポロの子供を主人公に持ってくるとは思いませんでした。
古参ファンならグッとくるシーンのはめ込み方もうまい。
でも・・・う~ん、不満はないのですが、
思い入れが強すぎて詰め込みすぎたかな。
主人子が隠し子であること、恋人が進行性難聴症であること、ロッキーが癌になってしまうことなど、悪くはないんだけど“泣ける”要素を詰め込み過ぎたように思うんですね。
ここからは、昔は良かったと言い続ける老人みたいな感想になってしまい、もし若い人が読んでくれているとしたら少々うるさく感じられてしまうかもしれませんが、シリーズの特に1作目『ロッキー』は本当に単純でよかった。
高利貸の集金係ををやっていて社会の底辺で生きていた主人公ロッキーが、偶然にも史上最強のチャンピオンボクサーであるアポロの対戦相手に選ばれて、内気な恋人や老トレーナーや周りの人々に支えられてタイトル戦に挑戦する。
「だめだ、とても勝てない。
でも15ラウンド経ってももしリングに立っていることができたら、
おれがただのゴロツキでなかったことを世界に証明できるんだ。」
このロッキーの独白が作品のテーマの全てを語っていました。
実に単純ですよね。
だけど、その単純さが良かったんです。
その後シリーズが進んでいくうちにだんだん手が込んできて、
人情噺というより格闘映画となっていった。
さらに言うなら、『ロッキー』は、ラブ・ストーリーだと思っています。
方向性が私の思いとは違う作品になっていきましたが、
『ザ・ファイナル』で、原点回帰をしたような感じになり、
監督、脚本がスタローン本人からライアン・クーグラーに変わっての本作は、その人情噺を引き継いでくれました。
その点は、ありがとう。
ここまで綿密な原案を考えてくれていたら、原作者のスタローンも文句がないだろう。
監督は1986年生まれの(若い!)だということらしいのだが、
本当にシリーズが好きなのがわかります。
1作目で一気に駆け上がったフィラデルフィア美術館の階段を、アドニスの肩を借りながら息を切らしながら登るロッキー。
いい演出でした。
いいシーンです。
さらに言えば、トレーニングシーンに、
冷凍牛肉を叩くシーンがあればもっと良かったかも。
ちょっと注文を付けすぎています。
オリジナルが大好きだから。
それでも、
本作のオリジナリティが最もよく出ていて、
そして一番感動したセリフ、
「俺は、過ちじゃない」で泣きました。
そしててこの作品の監督、
ライアン・クーグラー。
とてもいいセンスを持っていると思った。
アーウィン・ウィンクラ―とのコンビでシリーズを世に送り出してくれたロバート・チャートフに、感謝をこめて黙祷。