ふぁんたずま

日本暴行暗黒史 異常者の血のふぁんたずまのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

冒頭において、襲われかけて半裸で全力で都市のなかを駆け抜ける女性(おそらくゲリラ撮影なんだろうけど……)。その姿は、平板な都市の中において野蛮なものが現出してしまっているという印象を強く与える者だったように思う。

一つ目の過去編で襲われた女の人が全裸のまま画面の奥の奥、遥か遠くへと向かっていくところ、どんどん周囲の光景に似たたんなる模様へと、人というよりは人によってつけられた光学的なしみにすぎないものへと接近していく感じがあって(正確には、イリュージョンが消えて、人ではなくて人がつけたしみを見ているんだ、っていう真実がどんどん露呈していく感じというか⇔こちらへと向かってきて、来れば来るほどいろいろ明らかになっていく冒頭の女性)、ああこの人は人であることをやめに向かっているしその過程が映し出されているんだな、ってとても怖くなってしまった(長谷正人さんの議論やそこで援用されたリュミエールの初期映画を思い出す)。あと、心中後の二人がカラーになって映るところの鮮烈さ。

野蛮な血が受け継がれていって…みたいな設定どうなんだと感じる部分もありつつ、まあ50年前だしそういう価値観でも仕方ないか、と割り切りながら見始めた。でも、言うほど血のせいかこれ??みたいな想いはだいぶ初めからあって、三つ目の過去編に至ってはいくらなんでも血のせいじゃなさすぎて、さすがにこれを血の話としてまとめるのは社会に対して鈍感すぎるのでは、と作り手への疑義が高まっていったんだけど、でも最終的に、ああ、自分の血は呪われているということを内面化しているナレーターの(非合理な)苦悩をわりと批判的に映している感じがあるな、と納得できる感じにおさまっていた感じもあった(とはいえこれは好意的な解釈でもある気がして、血の話です!って嘘に実際のところ作り手がどれくらい批判的な距離を取れていたのかは知りたいし、別のシリーズみなきゃな、となる)。

解放された性的身体の過剰性に革命的な可能性を見出していた映画監督である、という雑すぎる若松理解を持って見始めたので、性の解放が革命に繋がるんだと(それこそマルクスを受けて)いいながら権力関係を悪用して強姦する人物が登場して驚いた。撮影現場で似たようなことが生じていなかったのかな、とか、学生運動・新左翼とどういう距離の取り方してたんだろう、とか。