彼のおかげで私の論文は「歴史学ながら現代へのつながり・発展にも通じる可能性を見せられて面白かった」となかなか良い評価を得られたので、敬意を表して見た。
映画的にどうなのかは分からないけれど、こうして敬意を表して見た私にとってはとても興味深く、ためになる映画だった。
こういう実験、真実を求めるためには100%倫理的でいられないし、過ちを繰り返さないためにも重要で、歴史学者が懸命に整理し残したアーカイブの有効活用だと思うのだけれど、ダメなの?
近年、アイヒマンは実は反ユダヤ主義者だった・途中で反ユダヤ主義者に変わったという考えも歴史学研究者の間で活発になってきていて、まるで彼が特別だったかのように話す人も出てきているのだけれど、ミルグラムの実験を見直せばそうでないと思えるのではないかなと改めて思った。
人間、大罪人が自分と全く違う世界の特別な人「ではない」なんて事実、受け入れられないものなのだろうな。そんなことないのにね。
ところで、何でこんなに邦題が酷いの?ミルグラムはもちろん我らだって、誰もアイヒマンから「後継」されてないわ。やめてくれないかな、こういうの。不快。