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マルメロの陽光のnaraのレビュー・感想・評価

マルメロの陽光(1992年製作の映画)
4.1
(あまりに静謐な時間の流れにとらえられ何度も眠りの淵に引きずり込まれかけてしまった…)
庭にしつらえられた天蓋の中にたたずむマルメロの木と画家の交感。同じ木でも今年のマルメロと来年のマルメロは何もかもが違う、だから今秋のマルメロの姿をキャンバスに写しとらねばならないのだ。
画家の描く実や枝葉の輪郭線と一緒に、マルメロの魂の一部までが紙に少しずつ転写されていくようだ、マルメロは訪れてくる人々の会話や陽気な鼻歌を聴いていただろうか。ラジオが今日世界で起こっているさまざまなことの断片を伝える。
秋から冬になり、マルメロは落果のときを迎える、とんでもない無常観。生命力を滴らせるように丸々としていた実は、夜中の庭で腐敗している。
来年の秋もきっとマルメロの木はそこに立ちつづけ、まるい金色の実を成らせるのだが、それは絶えざる営みに見えてしかしもう元のマルメロにはあらず。
今年も画家の挑戦は失敗に終わるわけだが、果たして絵の完成にさほど執着しているようにも思われない。描ききることは主題との断絶を示唆するだろうか。
来年の画家もまた、今年の画家自身と同一ではなく、命という有限性のもとで我々はみな朽ちるというただ一点に向かっている。
ともあれ陽光につつまれる小さな庭でのひと時は豊かでかけがえがなく、そういえばそろそろ今年のマルメロのシーズンらしい。あの庭はマドリードのどこかに今もあるのだろうか、せっかく在住しているのだから見に行ってみたい!
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