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マルメロの陽光のmozzerのネタバレレビュー・内容・結末

マルメロの陽光(1992年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

・2回目観賞(更新)
マルメロの木は「生」及び「若さ」の象徴である。ロペスが絵に残したいと感じた理由は、大きく実った実に陽光(ひかり)が差した瞬間に「生」や「若さ」を感じ、その一瞬の美しさに魅せられたからかもしれない。12月10日、遂に鉛筆も持たず木を眺めているうちに、おもむろにマルメロの実を採り始めるロペス。そこには、書き始めた頃の美しさは既に無く、葉は緑から黄色に、発酵した匂いが溢れ、実は張りがなくなりシワができている。そこに彼は人間の生、すなわち若さから老いへの変化を感じ取ったのかもしれない。
そして、その後実は彼自身も妻の油絵のモデルをしていることがわかるのだけれど、ベッドに横たわりながら手にしているのは、光り輝くガラス玉と昔の写真。そして暫くして眠ってしまい、それと同時に手からガラス玉が落ちてしまう。それはまるで、活気に満ち溢れた「若さ」が消えていくことへの象徴のようにも見える。ロペスとマルメロの木が重なって見えるシーンだった。
人が「老い」を感じる時とは、得てしてこのようなふとした瞬間なのかもしれない。毎日自分は老いていると感じながら生きている人なんていない。ましてや若い頃なんて老いを意識することもない。自信に溢れ、何でもできるといった根拠のない万能感、時間はいくらでもあると思っていた。しかし、実際60才くらいになると、やる気は満ちているが、残りの人生が限られていることも意識してしまう。ルイスの親友が言っていたように。
この映画の一番印象的なシーンは、ロペスが木から実を採った瞬間だと思う。
この映画のテーマは老いと人生であり、また生=生きることなのだと思う。最後、春になり朽ちた実と新しい実をつけ始めたマルメロの木を写して終わる。人生の終わりと始まりを象徴しているようでもあり、ロペスにとっての新しい何かの始まりを表しているのかもしれない。完成はしなかったけど、その過程を大切にする、結果はどうあれそこにたどり着くまでにどれだけ濃密な時間を過ごせたかが大切なのか教えてくれているような気がする。成果主義が蔓延し、結果がすべての現代において、80年代のまだ人の心に余裕があって、おおらかな時代であったこともなんとなく影響しているかもしれない。

・初回観賞
陽光と書いてひかりと読む方があってるかもしれない。
ドキュメンタリーとは言うものの、カット割りや撮影方法が正に映画的で、明らかに演出されているシーンもあるので、解説にもあるように、ある意味フィクションと言ってもよい作りになっている。。
シナリオやストーリーは決めずに撮影を開始したとのことだけど、小さいエピソードを繋ぎ会わせたような作りで、いわば短編を繋ぎ会わせたような編集が見事でした。
一番印象的だったのが、二人で昔歌った歌を歌うところ。ほんとに楽しそうに歌っていて仲がいいのが微笑ましくて(笑)
結構ハモりもできていて上手でした。
油絵を途中で諦めたのも、途中で書き直しちゃったのと雨が続いたからで、雨の中書くのを止めてキャンバスを担いでとぼとぼ歩く姿になんとも言えない哀愁が漂っていた。正にこれは演出としか言いようがない。画家の気持ちが見事に表現されたシーンのひとつといえる。
印象的なセリフとして、娘か娘の旦那がが油絵を諦めたのを見て来年また続きを描けばいいと言うシーンがあったが、ロペスにとって今年のあの瞬間に見たマルメロの木のてっぺんにある実に差し込む陽光の美しさを描く事が重要で、同じ瞬間は訪れないし、来年のそれはすでに新鮮味がないと感じるかもしれないと言えるのではないか。その瞬間に感じた美しさを描くことが重要で、来年同じような気持ちにはなり得ないということだろう。
作品を描くのを止めて、落ちた実を手にするシーンのロペスの気持ちに想いを馳せてみる。結局は描けなかったなと思っているのか、朽ちていく実を自分に重ねて見ているのかなど解釈は様々。

マルメロは見た目美味しそうだけど、味がないとのことで、砂糖漬けにしたのがマーマレードの原形だそうです。

この作品は普通に映画といってもいいくらい、良くできたドキュメンタリーでした。
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