真田ピロシキ

人魚に会える日。の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

人魚に会える日。(2015年製作の映画)
3.3
来週から4日間沖縄に行くので沖縄の映画を見ときたいと思い、青春のアーティストだった椎名林檎が例のヘルプマーク問題で最早どうしようもなくダサい奴に成り下がった今、同時期にもう1人若き自分を熱狂させたCoccoが出演している本作を鑑賞。

辺野座という明らかに辺野古をもじった土地の基地移設に巡る物語である本作。中学時代にジュゴンについての映画を撮るほど真剣に基地移設問題を考えた高校生の裕介が不登校になる姿はどこかしらグレタ・トゥーンベリを想起させられる。作中では因習として生贄が描かれて、悪い神様を宥めるために古来から若い娘を捧げててそれが今でも続いていると言われるのが現在の基地負担を指しているのは明白。わざわざ若い娘と限定しているのは度々起こる米兵のレイプと絡められているのだろう。時折強烈なモンタージュを交えて映画の政治性を見せつけられる。

しかし本作は賛成か反対かの2択を単純に迫るのではなくて基地及び内地によって分断されている沖縄を描いている。ジュゴンも所詮は反対派のダシに使われている風に言われ、内地への冷ややかさは基地移設賛成派の女性の言葉に如実に表れていて、自分のように味方面したい左翼への「勘違いすんじゃねえよ」という言葉として聞こえる。そういう意味でTVや新聞ではあまり見ない基地が生まれた時から日常としてある普通の人達にフォーカスされた本作は左翼内地人には意味深い。上記の賛成派女性はテンションがややおかしいし、沖縄を政治利用されることに憤りながら、スタンスを決められておらず物心つく前に目の前でヘリが墜落してトラウマを負った主人公ユメに自分らの代弁者になるよう求めるように矛盾してて、映画全体としては反対派に近い。それでも内地人に容易く消費させはしない強い当事者意識を感じさせる。どちらにしろ西村博之とそのシンパのような悪意と差別意識を凝縮させたデマ揚げ足取り屁理屈クズ野郎には永遠に分からない。

残念なのは台詞に頼りすぎたとこがある点で、先に述べた沖縄自体が生贄という比喩をそのまま述べてしまうのは強固なメッセージ性があるとは言っても無粋。それと若者の自然な喋りを演出してるのかもしれないが、高校生の返しに「はぁ!?」をあまりに多用されるのは面白いものじゃない。基地問題を真剣に考える素材としては良くても映画としての完成度には少し首を捻ってしまう。監督は中学生でデビューして本作時は大学生なのでそこは仕方ないか。Coccoはいつもの白いワンピースで生贄にされるところを森に逃された隠者という役でまさしくCocco。林檎と違って権威とサブカル露悪趣味に取り込まれず下の立場から真摯に歌い続けてきたのがCoccoの魅力。来月末ライブに行くので楽しみ。沖縄は未だに予定を決めかねているのだけれど、やはり辺野古には行ってみようかなと思う。